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MOON.(1998年2月1日 執筆)


 見どころ: シナリオ



■ どんなストーリーか?



 母親の宗教団体への入信、そして帰還、母親の変死と、心に傷を負った1人の少女が、
 その元凶である宗教団体へ入信し、母の死の真相を確かめようとする。そして、少女は
 そこで同じように目的をもった2人の少女と出会う。
 1人は入信した姉を連れ戻すため、もう1人はここで働く義理の兄を探すため・・。



■ どんなゲームか?



 重い内容を覚悟してプレイするも実際に予想した重さではなかったと実感する人かなり多数。
 実際には思った以上にむちゃくちゃヘビー。シナリオは先の展開が分かりだすようになるも 
 その先の展開にプレイヤーは「やめてくれ〜」の心の悲鳴。そんな悲鳴むなしくも、
 ワンクリック後の展開は予想したとおりの展開で予想以上のヒドさです。



■ どんな流れか



 宗教団体FARGOは「不可視の力」を得る事を目的に信者が集まっており、そこ
 に入ってからは太陽の光の射さない地下の施設で鍛錬という名目の中、精神に苦痛
 を与え「不可視の力」を授かることができる精神強度を備えた心を作っていきます。
 精神に苦痛を与える方法は、夢のようなものを見せる機械によって自分の抑圧してい
 た嫌な思い出、辛い記憶を再起させ、被験者をそれに耐えさせる事、もう1つは被
 験者を陵辱することです。
 ストーリーは主にこの夢を見せる機械での過去の回想、回想の中で後悔していく過程
 を少女の視点で見ていく流れです。本編の主人公、天沢郁未の場合、機械の見せる夢
 の中で、もうひとりの天沢郁未があらわれ、嫌な思い出を視覚的に見せ郁未をけなし、
 追い詰めていきます。

 このもうひとりの自分に昔の事を散々ほじくり返され、追い詰められていく過程が重い
 かんじです。郁未以外に2人の少女がいるわけですがそれがさらにダークでヘビーで、
 自分にとってこれがこのゲームのメインの部分だったと思ってます。

 

■ ベストシナリオ



− 名倉由依バッドエンド
 
 
 姉を連れ戻しに来た少女、名倉由依はFARGOに着いて間もなく姉の名倉友里に再会
 します。しかし、何年かごしの再会の喜びにはしゃぐ由依に姉は冷たくあたります。
 それでも姉を慕い、冷たく当たる理由を訊く由依に姉は手首の傷を見せ、数年前にあった
 事件を突きつけます。

     :
     :


 友里と由依が両親と一緒に仲良く暮らしていた数年前、――その日は由依の誕生日。
 姉はかわいい妹の為にプレゼントを買って帰り、母はケーキを作り、父は娘の為に会社を
 早退してその帰りを待ちわびていました。

 「由依は遅いな、せっかくのご馳走がさめちゃうぞ」
 「もう、お父さんは早く帰りすぎよ」
 「ははは、ついあの子の喜ぶ顔がみたくてな」
 「帰って来たらあの子をみんなでおどかしましょう」

 "由依が帰って来たら驚くだろうな"
 そんな思いを胸に待つ家族一同。 
 玄関から足音が聞こえ居間のドアが静かに開きます。



 「お誕生日おめでとう!由依!」
 「ハッピーバースデー!由依!」
 「遅かったじゃない、お父さんもお母さんも楽しみに待ってたのよ」
 「お父さんなんて会社を早退してまってたのよ」
 「ほら、お前のためにちゃんとプレゼントも買っておいたんだぞ」

 「どうしたんだ、由依?」 







 だが居間に姿を現したのは、乱暴されアザだらけで口から血を流した由依。


 「…どうして……どうして助けてくれなかったの」
 「…あんなに泣いて、お父さん、お母さん、お姉ちゃん…呼んだのに…」
 「……どうして助けてくれなかったの…」


 その日から家族には重い雰囲気が漂い友里から、そして由依からも笑顔が消えていきました。


 "お姉ちゃんと一緒にいつまでも笑っていたい"


 そんな思いからか、寝ている姉の手首を切って自分も死んでしまおうとします。
 結局、友里は一命を取り留め、由依は親戚のもとで暮らすことになりました。

     :
     :


 「あなた、手首に傷を持った人間が社会でどんな扱い受けるかしってるの!?」

 そういって友里は妹を問い詰めます。
 今まで抑圧し、こころの奥深くしまい込んでいた事実を姉に突きつけられ、由依は愕然と
 し、謝りつづけます。

 それから、郁未たちの説得の後、自責の念に悩まされ続けている友里はついに本心を出し、
 明日由依に会ってあやまり許してもらおうと涙を流します。
 しかしその夜、友里は与えられた不可視の力が暴走しFARGOから射殺されかける――

 郁未たちは弱った友里を保護し、そこで由依は豹変し瀕死の姉の姿を見ます。
 そして姉と妹はあの日以来、初めて本心で向き合いお互い泣きながらも笑顔で抱き合います。 
 だが友里に残された時間は少なく、妹に笑顔でさよならを告げ暴走した力が他人へ及ばぬよう、
 鉄の扉の向こうで自らその命を絶ちます。
 
 全ての決着をつけた由依は郁未たちの尽力によりFARGOから脱走します。
 そして郁未達との別れの際、いつも持ち歩いているたった一枚の姉と妹の一緒に写った楽しかった
 頃の写真を郁未に預けていきます。


_____________________________________



 バッドエンドだと由依は姉に会うことも無く、姉が死んだことを訊かされて陵辱されて
 最後は不可視の力が暴走したと間違われ射殺されます。
 そして最期の死に際に由依は夢を見ます。


 友里と由依が両親と一緒に仲良く暮らしていた数年前、その日は由依の誕生日でした。
 姉はかわいい妹の為にプレゼントを買って帰り、母はケーキを作り、父は娘の為に会社を
 早退してその帰りを待ちわびていました。

 「由依は遅いな、せっかくのご馳走がさめちゃうぞ」
 「もう、お父さんは早く帰りすぎよ」
 「ははは、ついあの子の喜ぶ顔がみたくてな」
 「帰って来たらあの子をみんなでおどかしましょう」

 "由依が帰って来たら驚くだろうな"
 そんな思いを胸に待つ家族一同。 
 玄関から足音が聞こえ居間のドアが静かに開きます。



 「お誕生日おめでとう!由依!」
 「ハッピーバースデー!由依!」
 「遅かったじゃない、お父さんもお母さんも楽しみに待ってたのよ」
 「お父さんなんて会社を早退してまってたのよ」
 「ほら、お前のためにちゃんとプレゼントも買っておいたんだぞ」

 「どうしたんだ、由依?」 



 


 「へへ、実はお父さん帰ってるの知ってたんだよ〜お父さんから聞いてたもん」

 「あなた!もう、先に言ったりして・・」
 
 「すまん、すまん。つい隠し切れなくてな」




     どうしてこんな夢をみせるの・・・



 
 「あは、ケーキがある!お姉ちゃん、プレゼントは?」

 「だ〜め、晩御飯が済んでからよ」

 「もう、いいじゃない晩御飯の前だって」
 

 

     私が欲しかった夢、家族との楽しい誕生日、お姉ちゃんの笑顔・・・・・



 

 もし、あのとき何も無く家に帰ってこれたなら・・・今だって手に入れていた夢。

 


_____________________________________________

 こんなカンジのストーリ―だったと覚えています。
 このゲームをやったのはコレが発売されて10日後ぐらいでそれ以来2度とやる気が起きなかった
 ゲームだったので印象の強い部分以外殆ど記憶が曖昧なままです。そのせいでセリフとか文章とか
 オリジナルに補完してしまってます。
 ここまで性犯罪被害者の内心の痛みを真っ向から描いている作品も珍しいと思います。
 ただそれだけに、ストーリーに深みではなく重みがあるので、心に残らざるをえないという印象
 なのですが、テーマを"痛み"に絞って書くだけでかくも燦々たるシナリオになるのか、と驚かされ
 ました。

 最後に友里が不可視の力を求めた理由は「たった1人の妹を取り戻したかった」だったです。



■ テーマは?



 実は郁未の精神の成長過程ではないかと思います。

 ゲーム序盤で郁未のドッペルゲンガーとも言える夢の中でのもうひとりの郁未(目つき悪い)
 は徹底的に郁未本人を言葉の暴力でいじめ続けます。しかしそうしていじめに耐えつづけ本当
 の自分と向き合う事で徐々にドッペルゲンガー郁未は郁未本人の支えとなって機能します。

 この過程をみて気付いたのがアニマ(女性形:無意識)とアニムス(男性形:意識)の関係です。
 女性はアニマが外在しておりアニムスが内在している状態で表に出ることの無いこのアニムスを
 発達させることで一個の人間として成長します。
 郁未は無意識の世界の中に意識という客観的で理性的な視点をドッペルゲンガー郁未から提供され
 自己の中でそれらがせめぎあう事で精神の成長を手にしました。
 もう一つ考えられるのはペルソナと魂の関係です。
 ペルソナとは他人から提供されるような客観的自己像で、魂とはそれに対し自己に内在する自我
 です。郁未は今までペルソナ(こう見られたい自分)に偏っていき魂(行動の根源となるような
 自我の中心)から離れていました。これが続くと他人から見られる自分、こうありたい自分から
 行動の根源を作り出すようになり、ペルソナのとおりの自分を心から演じ本当の自我を見失います。
 このあたりの記述については他のサイト様の感想で溢れるように書かれているので詳細は割愛
 しますが、私的に1つだけ気に入っているのは、『MOON.』というタイトル。月はアニムスの象徴
 であり、この表題は『無意識(MOON)にピリオドを打つ』という意味を乗せているようです。



■ お花畑とは?



− 精神形成のゴールである

 上記のようにテーマを捉えたなら、お花畑の意味する事は完全な精神の到達です。
 いわゆる桃源郷や天国の到達点としてのメタファー(暗喩)なのかもしれません。
 その頂点へ上がりつめた郁未はただ花をむしるだけでした。上り詰めても完成された
 精神ではペルソナが魂を変える事もありません。目的も手段も頂上に着いた以上、
 無意味なものとなってしまいました。そこで立ち止まるしかありません。
 だからこそ郁未はお花畑の要素である花をちぎっていくという破壊行為に出たのでしょう。
 上がりつめてもなにも無かった為、目的を再び得るため破壊し元に戻そうとする。
 
 "ぼくらの足枷になっているものが地下にある"

 その足枷になっているものとは「お花畑」でした。
 到達点、到達すべき点、ゴールが足枷になっている。こう考えたなら完成の象徴として
 作中に表れた銀髪の少年はこのゴールがいらないどころか邪魔になっていたことになります。

 つまり銀髪の少年はゴールめざして頑張る過程が欲しかっただけで、その行動の流れを止めて
 しまうゴール自体は邪魔でしかなかったのです。

 "季節の移り変わりと共にぼくらはきえる"

 そのような事を銀髪の少年は言っていました。
 草花みたいな事についていっているようにきこえます。
 植物に置き換えると植物は生長し、花を咲かせる(完成)。そして自分が死んで(破壊)のちに
 新しい芽が出る。この場合、完成でとまっていたなら子孫は残せません。断絶します。
 完成された存在としての銀髪の少年でさえ、万物流転にさからってはならない存在なのです。


 この点からひとつ派生させて考えてみました。
 なぜお花畑は満開の花として描かれていたのか、についてです。
 もちろん最終到達点のメタファーとして描かれているなら満開の方がそれらしいでしょう。
 けれども地下の施設で締め切られた中、季節に関係なく様々な花が満開です。
 (全部春に咲く花ならしかたないですが・・)
 そうさせるには人間の力で何とかするしかありません。
 ここでお花畑を人工的に花開かせそれを無理に維持したものとしたなら、お花畑は万物流転に
 さからう人間の科学の進歩のメタファーとなります。
 完成した状態で止められ流転することを許されない自然。絶対的な力を持ちながら組織に監禁
 されている銀髪の少年を暗に示しているのかもしれません。

 さらに深い意味でとらえていくなら、銀髪の少年は花の妖精という見方もできます。
 銀髪の少年は地下深くにあったお花畑の妖精で郁未と接している少年の姿をした者は花の化身
 である。しめきられ環境を調整することにより万年花開かせていたお花畑は郁未が扉を開け放った
 事により環境が崩れ流転することを許された。それが元で不死身に近かった銀髪の少年は死ぬ事を
 許された。そしてエンディングで流転の象徴として郁未のおなかに宿る生命がでてきたのかも
 しれません。郁未の未は未完成の未で未来の未なのかも、と考えさせられました。

 
 だとしたら高槻はお花の妖精と人間のハーフということになるのか…(愕



■ ワーストパーソン



 ベストパーソンがいなかったんで・・
 郁未は主軸ながらも何か感情薄い気がして、晴香はなんだか個性が気が強いだけというカンジ
 がして由依はシナリオは置いておいても何かズレてしまっている感じがして怖かった。
 んで某ゲームの香里そっくりな姉の友里は出番が少ない・・。
 いずれもインパクト薄かったがやっぱりこいつは・・!

− 高槻

 FARGOの監視員で鬼畜な性分。
 晴香の目の前で不可視の力で晴香の兄を殺害。



高槻:「参った!」

高槻:「オレは参った!!」

高槻:「それは・・おまえが気持ちよすぎるからだ〜!!!」


 ………………。


高槻:「あほか〜!そんなことでオレが満足するとでもおもってるのか〜!!」


 ここまでアホ丸出しのキャラも相当楽しいです。



■ ベストBGM



− 閉鎖された空間

 ベストBGMというよりも作中1つだけリズム系で毛色が違っていてそれでいて
 雰囲気にあってるという曲で印象に残りました。これから行動するぞって曲です。

− 黎明

 最初のトラック内のズンズッカカンの曲。
 古びた長距離列車の片隅に腰をおろす炭鉱労働者といった曲調です。 

− 非日常

 これが一番好きです。イメージは昔の社会主義国の政治犯罪者の集団刑務所内の
 食堂(長っ)というカンジ。はじめてここに来て、無機質な建物の中、灰色の囚人
 服を着た人が列をなして食事の分配を待っているのを目にしたときの風景・・・
 そういう感じです。

− おもひで

 由依が射殺されて死に際に、家族、そしてお姉ちゃんとの楽しくすごす誕生日の仮想の夢を
 見せられて、そのまま夢かなわず冷たくなっていくシーンの曲。
 ゲームの感想でこの曲の占めるウェイトはかなり大きそう。

− 陽のさす場所

 唯一救われるであろう曲。
 公園のベンチにすわり穏やかな日常を見つめ昔の事を思い出している感じの曲。
 




■ 最後に


  良くも悪くも抽象描写や謎が多く置かれたゲームでした。
 それがいい方向で働くのは、様々な方向性を持った発言や文章表現をプレイヤーが捨象し
 その中の特定の表現要素からプレイヤーごとにすばらしい解釈が生み出されることです。
 やはりそれも悪い面を持ち、抽象描写が多いためにいわゆるノストラダムスの終末予言の
 解釈法のように、ゲーム中の抽象表現を都合よくプレイヤーに解釈させてシナリオの最大値
 を結局は依存、放置してしまっているように見えます。
  バックグラウンドに1つのテーマを載せて、それを多義的に展開していくところにうまさ
 はあるものの、そのあたりの前提となる知識を知らなければ「何言ってるの?」という
 レベルの作品です。つまり、受け手に披露する1つのゲームとしてはただの未完成品です。
 ゆえにそのあたりの説明を明示的に出しいく必要があったように感じたのですが、訴求対象
 を絞りすぎた時点でひとりよがりなゲームの域をでることはありません。
  この点を考えるに、このゲームの良さというのは、圧倒的悲劇ストーリーという部分で
 あり、その痛みに真正面から向き合ったところにキモがあるのではと思います。






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