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車輪の国 向日葵の少女(2007年2月12日 執筆)



 見どころ: さちシナリオと灯花とBGM



 一面ひまわり畑の小さな町での義務を負った少女と主人公のふれあいストーリー。
 ひまわりの学名はヘリアンサス(太陽の花)で、まっすぐ太陽に向き合うさまから正義の象徴にもされて、
 弁護士バッジはひまわりを象って作られています。花言葉は『あなただけを見つめている』
 力強くどこか不気味な雰囲気があるので、自分は花の中ではひまわりが一番好きです。
 余談ながら、ひまわりは種を採取する農業目的以外にも放射能で汚染された地域を浄化するために植えられる
 事もあります。放射能で汚染された土地でも力強く育ち、地中から放射性物質を吸い上げて葉や茎に蓄積する性質
 があるので、ある程度育てば刈り取られて焼却されて灰は放射性廃棄物として保管されます。
 ひまわり畑を見たときは注意したほうがいいかも…?



 当初期待していた部分については期待はずれだったものの、違う部分で期待以上の作品でした。
 すなわち、『義務』という極度に法社会システムの問題点を強調、注視させるような面白みのある舞台設定で序盤の
 展開を引っ張っておきながら、その実、それとはほとんど無関係のヒューマンドラマのみが展開されている点は
 期待はずれでしたが、純粋なヒューマンドラマとしてのクオリティの高さと灯花の素晴らしさには手放しで
 拍手を送りたいという作品です。



 ■ シナリオ

 さて、作品を批評するときに『読み手を選ぶゲーム』というフレーズは概して否定的な意味で使われがちですが、
 本作は本当の意味で "読み手を選ぶ" ゲームのように感じました。というのも、作品を通してライターが送り続けている
 メッセージがかなり両義的であり、『ヒューマニティ(一般的な意味での人間性)』なのか、『ヒューマニズム(社会的善悪の統制)』
 なのかで、相当作品の質が違ってくるからです。
 それで物語を通して具体的に作者が描いてきたテーマは、

   @ヒロインと賢一のヒューマンドラマ(向日葵の少女)
   A作中の特殊な法社会システムへの疑問提起(車輪の国)

 の2つですが、このテーマについて単純に、

   『ニューマニティ = @ヒロインと賢一のヒューマンドラマ』
   『ニューマニズム = A作中の特殊な法社会システムへの疑問提起』

 というわけではなく、

  (1)ヒロインと賢一のヒューマンドラマの中でヒューマニティ(人間の強さと弱さ)を描こうとした
  (2)ヒロインと賢一のヒューマンドラマの中でヒューマニズムのあり方(社会的善悪とは何か)を表現しようとした
  (3)作中の特殊な法社会システムへの疑問提起の中でヒューマニティ(人間の強さと弱さ)を描こうとした
  (4)作中の特殊な法社会システムへの疑問提起の中でヒューマニズムのあり方(社会的善悪とは何か)を表現しようとした

 と類型化すると4パターン考えられますが、困ったことに個々のシナリオでそれが統一されていません。
 それに相まって舞台設定、世界観がしっかりしているにも関わらず、それらとは全く別の次元でシナリオが展開されて
 しまった部分に問題があります。

 さちシナリオと灯花シナリオは、彼女らがどうしようもない最悪の状況を目の当たりにすることで自己を改心させて
 いくという内容であって、そこに特別高等人たる賢一の入り込む余地はなく、シナリオ構造上、賢一は彼女らの更正の
 触媒にしか過ぎませんし、恋愛を禁止されている夏咲の問題も最終的に社会システムの問題ではなく、夏咲の内心に宿る
 怯えの克服と恋愛にテーマが収束している点、この作品独自の社会背景や賢一の過去、義務という設定など、ほとんど
 ヒューマンドラマという本質に関係ありません。
 賢一が特別高等人ではなくたまたま田舎に転校してきた平凡な男の子でも、夏咲が過去体験からコミュニケーションに
 臆病になってしまっただけの女の子でも、ほとんど同じストーリーが作れてしまうので、ラストのアクションやさちが
 描いた巨大な向日葵の意義も全くの無駄ということになります。要は無理矢理ラストを派手にしたいがために、テーマ性
 が不確かなまま物語を展開させて、結果広げすぎた話をまとめきれなかったと見えてしまうわけです。
 最終的にライターが描けたものは『向日葵の少女』だけで『車輪の国』に関してはうまく表現できていません。

 それでそれぞれのシナリオとテーマについて見てみます。


 (@) さちシナリオ

 I cannot afford to waste my time making money
 金稼ぎのために時間を無駄になんてできない。
 豊かさとは何か? 幸せとは何か?
 休むまもなく金を稼ぐために働いて、たくさんのお金を持ったとしてもそれは幸せといえるのか?
 極端な話をすれば、会社で働いている人間というのは時間をカネに変える作業を繰り返しているに過ぎず、
 しかもカネは生きる上で必要なのでこれをやめる事もできない。
 つまり、作中でさちが特別高等人によって1日12時間に制限されているのと同じように、現代社会で忙しなく
 働きつづけている人間は会社や仕事によって1日を12時間、8時間と制限されているのと何ら変わらず、
 彼らもまた社会経済システムの犠牲者であり、大多数はそれをごまかし続け、決して直視しない。

 関係ないですけど、さちは為替で生活していることから『カネ』も『時間』も手に入れた成功者なんですよね。
 シナリオでさちは過去体験から努力することに嫌悪感を抱いて、唯一好きなものである絵に手を出せずに
 いたという話で、その焦点はさちに期待するまなとまなの期待に応えようとあがくさちの友情です。
 なので上記の英語の言葉はさちシナリオに関しては的外れです。

 ヒューマンドラマとしてのシナリオには大満足です。
 さちを立ち直らせるために自ら町を出て行く事を決意して、最後に向日葵畑で抱き合って涙を流しているシーン
 は最高です。あのシーンで賢一を頼ってしまうとさちは結局ダメになってしまう事を知って、自分が町を出なけ
 ればならない事を受け入れてまで、さちの成長にとって最善の方法を選んだまなには視界が滲みました。
 自分の大切な人間のために自分の全てを犠牲にしてもいいと思える優しさ、強さ、健気さ――
 自分のせいでどうにもならない現実が訪れ、その現実の前に挫折して泣き叫ぶさちの後悔の念があまりに痛々し
 すぎます。
 作中、最高のシナリオです。


 (A) 灯花シナリオ

 The child is father of the man
 子供を持ったとき、初めて人は親となる。
 子供が1歳になれば人は親としても1歳になり、10歳になれば親としても10歳になる。
 親は子供を教育するが、子供もまた親を教育する。

 英語の諺とは少し違う意味ですが、概ねこの意味でシナリオを捉えているように見えます。
 初見、灯花の優柔不断さが問題となっているような印象でしたが、実際には京子の『親』としての幼さにスポット
 が向けられており、その意味でテーマに合致したシナリオだと思います。
 例によって『義務』とか『特別高等人』といった法社会システムとは直接的な関係はありませんが、一種の社会問題
 の契機をテーマにしたものです。

 灯花の抱える問題自体は灯花の弱さに由来するものではなく、むしろ京子の弱さが灯花を苦しめつづけたという経緯
 があり、灯花シナリオというよりは京子シナリオです。にも関わらずこのシナリオで灯花の強さがクローズアップ
 されているような印象を受けるのは、『京子の弱さ=灯花の不幸=灯花の強さ』だからでしょうか。
 シナリオ自体は良かったものの、ラストで全てを受け入れるに至るまでの灯花の心情描写がすっ飛ばされた印象が
 あり、灯花の中の優柔不断なり葛藤なりが見えずらかったので、さちシナリオに比べてもうちょっとでした。


 (B) 夏咲シナリオ

 What force is more potent than love?
 愛より強いものがあるとでも?
 これ以上ないってぐらいに夏咲シナリオのテーマそのものです。
 ところで、このシナリオで愛より強いものという比較のポジションに立つものが、まさに本作の義務という
 特殊な法社会システムそのもので、他の2つのシナリオとは違って夏咲はこの法社会システムに正面から
 向かい合って、それを破る事を選択します。このシナリオ運びはそのまま法社会システムへの問題提起として
 機能するという側面を持つわけですが、それを完結させるのがそれ以降の章なので実はこのシナリオは問題の
 提起部分にしか過ぎません。

 夏咲というキャラはかなり問題を抱えているように見えて、実はそれ自体すでに完成された強さを持った
 ヒロインなのですが、義務に違反する事で傷つくのが夏咲であるというシナリオ運びでは、すでに夏咲の中で
 賢一のために全てを犠牲にする事が目に見えている分、ラストの感動が余りありませんでした。


 (C) 璃々子シナリオ+ラスト

 I shut my eyes in order to see
 目を閉じてこそ見えるものがある。
 問題意識的な切り取り方をすれば、社会システムの犠牲者という意味での第三世界や孤立し隔絶されたマイノリティ
 の存在、それに対する無関心が引き起こす問題に対して、ライターが自分の主張を投げかけたと考えそうになりますが、
 黒い太陽の義務を課せられた璃々子が一種の悲劇的偶像として描かれていない点、作中の法社会システムに対する
 レジスタンスの象徴として登場している点を考えるに、ある意味、璃々子は法社会システムに疑問を抱く一般大衆の
 代弁者として、またゲームのプレイヤーの視点を共有する役割があるように思えます。

 璃々子はキャラ的にかなりいいです。というよりも声優さんが素晴らしすぎ。
 ラストの展開はあれでしたが登場シーンがおいし過ぎます。
 あの登場の瞬間に今まで謎だった部分――賢一が女性物の下着を持ち歩いていた事や、一見ズレた言動、その
 ほとんどが明快に解決しました。最後の法月との対決のどんでん返しも快感です。
 ――だけどそれら後半のおいしいところ全部、物語の本質には関係しないんですよね。

 さて、ラストの見せ場といえば公開処刑シーン。
 なんにせよ、夏咲シナリオで提起された問題に対してライターがどのような答えを出すかという部分に、読み手は
 注目しているわけですが、エンディングがあそこまで薄味にまとめられている事を肯定的に捉えて、あのエンディング
 以前のさちの描いた巨大向日葵こそが実はこの作品の訴えている事そのものであると考えることも出来ますし、どうにも
 ライターはそれを狙って、結果的に読み手に伝わらなかった節があるように思えてなりません。

 すなわち、公開処刑のシーンでギロチンが置かれた広場で大衆が口に出せないながらも義務という法社会システムに
 不満を感じている。そこに、作中一貫して正義の象徴として捉えられてきた向日葵――さちの巨大な向日葵の絵が
 掲げられて、大衆は法社会システムへの不満を爆発させる、というシーン。
 このシーンは『There is no such thing as society』というタイトルの言葉に象徴されています。

 政治学や社会学を大学で勉強したことがある人なら一度は目にした事があるであろうマーガレット・サッチャー元英国首相
 の言葉ですが、意味合いとしては、『国が我々に何をしてくれるかではなく、我々が国に対して何ができるか考えるべきだ』
 という言葉とほぼ同じニュアンスの言葉です。
 英国経済の低迷期の行政庁の発言と考えれば、その意図するところもほぼ一義的なものですが、「社会などという実在は
 存在しない。労働者が不満の対象とする "社会" という実在は人間一人一人によって形作られているものであり、労働者
 一人一人が、漠然とした社会というものに責任を押し付けずに個人の努力で "社会" を変えていける事を理解して欲しい」
 という、努力と可能性の大切さを説いた訓示の意味も一応持っています。
 統制国家から一方的に強要された義務に対して無関心でいた、または糾弾できずにマイノリティを差別的に扱い続けていた
 大衆が、人間が本来的に備えている正義を喚起させられて口々に国家を非難し始め、正義にしたがってマイノリティに救い
 の手を差し伸べていく――

 今までの流れでは全くそんな事は主張されていない、かつ、さちシナリオ、灯花シナリオは法社会システムとは別次元の
 物語であり、全く別個に完結を得ている、という点を鑑みれば分かるように主張内容と表現の間にほとんど合理性があり
 ません。ライターとしては恋愛が本質的に人間の自由であることを訴えて処刑される事になった夏咲を、人間的正義感を
 喚起された大衆が救おうとする、という絵を表現したかったのが痛いほど分かるのですが、その手段にいきなり、ギロチン
 や公開処刑など閉口モノのギミックを持ち込んだせいで、急速に失速した感じがします。
 そもそも死刑というシステムがない法社会の舞台設定に、背景にも展開にも馴染まないギロチンを出そうとする感覚に
 派手な修辞を好むライターの存在感がゲームの中にはみ出してしまったカンジがして、私的には大減点です。

 あとライターに日本の法社会システム、刑法について誤解している部分や言葉の誤用が目立っていたのが気になったので、
 SF小説としての日本の記述は蛇足だったように思います。日本の刑事法では『車輪の国』と同じように、犯した犯罪に
 よって結構細かく罰則が定められており、浪費で破産した者には『財産を持てなくする義務』、ストーカーとなって
 他人に害を与えたものには『その人間に近づいてはならない義務』、タバコで火事を起こした者には『タバコを吸っては
 ならない義務』というのも課する事ができます。また、懲役クラスの犯罪を犯した者は刑務所に行くことになりますが、
 そこで行われる特別予防教育は犯罪によってかなり細かく分かれています。また、特別高等人にあたる職業が日本では
 検察官・保護観察官(法務事務官)で、特別高等人と同じように検察官は自分の心積もりひとつで被疑者を無罪にする
 事も起訴して有罪にしようとする事もできます。
 あと、米国には『恋愛を禁止する(異性に近づいてはならない)』刑罰が本当にあったりします。



 ■ 本題

 さて、前置きはこのくらいにしてそろそろ本題に入りたいと思います。
 すなわち、灯花についてですが、このゲームをプレイして私的に言いたいことがあります。
 まずライターはこのシナリオで犯してはならない過ちを2つ犯しています。
 ひとつは、灯花が京子から拒絶された時に全てを赦すに至るまでの心情描写の放棄。
 そしてもうひとつは、このゲームに灯花を登場させてしまった事。

 一度想像してみるといい。
 子犬系の妹キャラが上目遣いで次のようなセリフを囁いて甘えてくるワンシーンを。





      『ダメぇ……?』

      ………。

      『えへへ……』

      ………。

      『キス、してぇ……』

      ………。




 解説しよう。

 まず一言目で俺は理性の10割がふっとんだ。
 次に二言目で車輪の国で特別高等人を目指そうと決意した。
 最後に三言目で現実(リアル)に生きる女どもに別れを告げかけた。
 まだまだこんなものじゃない。
 リアルで俺を知っている人間ならこの価値が分かると思うが、エロシーンでCtrlキーを押してすっ飛ばさなかった
 はじめてエロゲーに声が必要だと痛感させられた
 そして萌えという言葉の真の意味を知ったのかもしれない。
 カルチャーショックどころの話ではない。
 このゲームをプレイしている最中、俺は廃人が完成する過程を身をもって体感しかけたのかもしれない。
 とにかく、そのぐらいキャラ的にアレでした。


 ■ キャラ

 A 法月 将臣

 このキャラがライターの考えているロジックをすべて代弁してしまった感があるのですが…。
 常に合理的に考えてどんな非道徳的な手段を使っても結果として多くの人間を救える。賢一が身近にいる1人
 の人間を救うのに対して、社会の構成要素である個の人間を犠牲にしても総体としての社会を救うことが出来る
 中立的人間。人道的である事、論理的に正しい事が必ずしも社会自体をいい方向に導くとは限らない事を理解して
 なおかつそれを自ら執行できる強さを備えた超人。
 キャラとして結構好きですが、自分は絶対に社会のために犠牲になりたくないですw



 ■ 音楽

 @わずらい

 この曲が最高に好きです。
 エロゲBGMで久しぶりの大ヒットやってきました!
 自分は伝統的に何かの曲の名前をHNに使っているのですが、そのうち「海鳴り」ではなくて、
 「わずらい」になるかもしれません。…が、それはイヤ過ぎる。
 それでも全体的に作品の雰囲気に合っていて、この曲があったから泣けた、と思えるぐらい
 涙を誘う旋律でした。ああ、でもどちらかというと『車輪の国』の曲は『もしも明日が晴れならば』
 のストーリーにあった曲だと思います。


 ■ まとめ

 灯花の分を抜いてもヒューマンドラマとしてはかなり秀逸な部類の作品です。
 シナリオの良さが出たのはさちシナリオのみで他は全体的に演出、音楽、キャラで引っ張りあげた事で
 作品の評価が高まっているように思えます。
 ただ、序盤にシナリオを牽引してきた内容とヒューマンドラマとしての実質、ラストのテーマ性のあり方
 がバラバラになっているので、完成品としてのゲームとは言えません。また、プレイヤーの裏をかく技術
 は楽しめたものの、それがほとんどテーマ性や描いてきたものに関係がないので、結局はヒューマンドラマ
 であるヒロインのシナリオだけでよかったのでは?と思わざるを得ない作りになっているのが本当に残念です。

 まぁ、そんな事より灯花だけで十分に素晴らしいゲームでしたw




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