佳奈多計画!   −後編−
 





     「――で、あるからして、透過性イオンと不透過性イオンが重要になってくる。では、透過性イオンが
      不透過性イオンの影響により膜の両側に不均衡に分布される事をなんと言うか分かるかね?
      えー、では溝口。」
     「あの…すみません。分かりません。」
     「では、蛭子。」
     「はい、答えは3番です!」
     「よし、藤堂。」
     「1582年です。」
     「次、須藤。」
     「えぇっ!? 俺ですか? それじゃ、2y−1です。」
     「間違いだ。では正解をストレルカ君。」
     「ワンッ!」
     「やはり無理か…。では、斎藤。」
     「先生!今日は僕の誕生日です!」
     「うむ、おめでとう。深沢はどうだ?」
     「分かりません…というよりも先生、それ高校生物の範囲超えているような――」
     「なんだ、誰も分からんのか…では、三枝…はいいか――」
     「ドナン効果です。」
     「ふむ、分から――え? 三枝、正解だ…」

 クラスからおーっと声が上がる。
 その瞬間、私はしまったと思ったがすでに遅かったようだ。

     「おい、いったい三枝のヤツどうしちまったんだ?」
     「何かヤバイもん拾って食べたんじゃないのか?」

 周りの生徒たちはみんな目をまん丸にして私を見つめている。
 それはそうだろう。ある日突然、三枝葉留佳の学力が飛躍的に上がれば誰だって驚く。
 それどころか大学で学ぶような内容まで答えれば仰天もするだろう。

     「あはは…、たまたま昨日やってたアニメで見ただけですヨ。」

 ペロっと舌を出して曖昧な笑みを浮かべる。
 これならどこからどう見ても、いつもの三枝葉留佳だ。うん、自信がある。
 現にこの朝の一時間目までに私の正体を疑った者はひとりとしていない。

     (ふっふっふ…。私は三枝葉留佳――風紀委員でもストイックでクールな優等生でもなく、
      お祭り騒ぎが大好きなリトルバスターズのトラブルメーカーなのよ。)

 ――そうなのだ。今この教室でこうして授業を受けている三枝葉留佳は三枝葉留佳本人ではない。
 髪型から服装、喋り方まで完璧に真似した二木佳奈多なのだ。
 だから二木佳奈多は体調不良で休んでいる事になり、本物の葉留佳は私の部屋でゴロゴロしている。


 ――なぜ、こんな事をしているのか?


 退屈な授業をBGMに、私は頬杖をつきながら窓を眺める。
 休み時間になるといつも窓からロープを伝って恭介君はやってくるのだ。

     "1日だけ、いつもの "佳奈多" ではなく "葉留佳" として行動してみたらどうカナ?――"

 その葉留佳の提案を聞いた時には、そんなバカみたいな事と一笑した。
 葉留佳として恭介君とお話をしても二人の関係は変わらないし何の意味もないじゃない、と。
 そんな言葉に葉留佳はこう言った――でもお姉ちゃんは変わることができると思うよ。

 最大の問題は私が素直になれないことだと葉留佳は言う。
 つまり、"葉留佳" になることで、お山の家や周りを気にしなければならない "佳奈多" のイメージ
 から解放されれば、恭介君との関係も自然に近いものになるのだという。
 私はもっと自由にならなければならないらしく、私自身も葉留佳の言葉に何も言い返せなかった。

 …尤も、私は二木佳奈多のイメージを背負わずに恭介君と話せるのが何より楽しみなのだ。
 この授業の時間中のほとんど、恭介君と何を話そうか考えていたぐらいだ。

     (それにしても長い授業ね…いつもこんなに長かったかしら?)

 相変わらず黒板にチョークでカリカリと小さな字を書きながらダラダラと喋る教師。
 この授業に意味などない。大事なのは恭介君がやってくる休み時間。

 だから今すぐ鳴るがいい。その鐘の音色は私を自由にする。
 時間の終わりを告げる合図は、私にとっては時間の始まりを告げる合図に他ならないのだ。

 ――キーンコーン カーンコーン

     「ふふ…」

 誰がために鐘はなる? ――決まっている、私のために鳴るのだ。
 鈍い余韻を残すその音を聞き終えると同時に、私は勢いよく立ち上がった。
 隣の教室まで数えるほどの歩数――

     「――なので…こら、三枝! まだ授業はおわっとらんぞ! 席につけ!」
     「はい…」

 が、再び私は席につくしかなかった。









佳奈多計画!
−後編−












 ――ようやく1時間目の授業が終わり最初の休み時間。
 いつもの葉留佳のように脈絡もなく隣の教室に登場してみたものの…

     「ほら、真人。筋肉、いえぃいえぃ♪」
     「お、なんだ理樹。ノリノリじゃねーか! 筋肉♪ 筋肉♪」

 謎のダンスを踊る直枝理樹と井ノ原を見つめながら私はため息をつく。
 教室のどこを見回しても肝心の恭介君がいないのだ。

     (く…っ これでは何のために来たのか意味が分からない…!)

 唇を噛み締め腕を組んで唸る。
 恭介君がいないのならこの教室にいる意味もない。ならばここは出直すか探しに行くか――

     「あ〜!はるちゃん見つけました。」
     「…数も揃った事ですし、それでは早速始めましょう。どうぞ、三枝さん。」
     「え? これは?」

 振り返るとそこには丸めた新聞紙を手に持った神北さんと西園さん。
 西園さんに渡された新聞紙を見つめる私の頭上には、いくつものハテナマークが並んでいる。

     「ルールは昨日と同じ――斬る時は『かたじけのうござる』、斬られた人は『無念なり〜』と
      言わなければなりません。」
     「へ? へ?」
     「わふーっ 今日こそは葉留佳さんに勝つのですっ!」
     「む…。何を楽しそうな事をしようとしている。私も混ぜろ。」
     「くるがや、昨日のリベンジだ。私もやるぞ。」

 西園さんと神北さんだけだったのが、いつの間にか来ヶ谷さん、クドリャフカ、それに棗さんまで
 集まってきていた。すでに全員、西園さんから新聞紙を受け取って棒状にして携えている。
 つまりはこの丸めた新聞紙で相手を斬り合うチャンバラをやるのだろう。

 視線を上げると、そこにはやる気満々といった感じで丸めた新聞紙を構える面々――
 お互いふざけ合いながらも、どこか真剣に遊ぼうとする緊張感が漂っていた。
 …これはちょっと抜けることができない雰囲気だ。

     (はぁ…何で私がこんなバカみたいなこと――)

 これじゃまるで風紀を乱す側の人間だ。
 二木佳奈多ならば間違いなく新聞紙を放り出してその場を去っている事だろう。
 だけど今の私は葉留佳であって佳奈多ではないのだから、このチャンバラに参加するしかない。

     「それじゃ、第21回新聞紙ブレード大会始めるよぉ〜〜☆」

 神北さんの元気いっぱいの掛け声に、私はため息をつきながら新聞紙を右手に構える。



     :
     :



     「あははははっ! かたじけのうござるっ!」

 ベシン☆

     「無念なりぃぃ〜あううぅぅ〜はるちゃんにまた切られたぁ〜〜」
     「スキありっ! かたじけのうござる、なのです!」
     「甘い甘い、ミニ子! それぃ、カウンターかたじけのうござる…!」

 振り向きざまに振り下ろした新聞紙ブレードがクドリャフカの頭に命中する。
 そ、そうよ! 私は別に楽しくてこんな事やってるワケじゃないんだから…っ!
 飽くまでも葉留佳を完璧に演じるために仕方なく――

     「と、見せかけて死んだフリから不意打ち!なのですっ!…わふっ!?」
     「あははーっ!約束された勝利の新聞紙ブレードぉぉぉ!」

 スパコーンッ☆

     「わふーっ 無念なり〜なのです。 今日の葉留佳さんは一味違うのです…っ」
     「油断大敵…かたじけのうござる。…あれ?」
     「ふっふっふ。まだまだなのですヨ、みおちん! かたじけのうござる!」

 再びカウンターが西園さんの頭に決まり新聞紙ブレードが軽い音を響かせる。
 ああ…最高ね。この一発が決まった時の鮮やかな感覚…!

     「今日のはるか、くるがやなみにすごいな…。」
     「やられてしまいました…。確かにいつもの三枝さんとは違うキレが感じられますね。」
     「そうだよ〜。はるちゃん、何だか今日は冴えてる感じだよ〜。」
     「葉留佳君はまるで別人のような動きだな。これなら宮沢少年とも互角に渡り合えるぞ。」

 目をまん丸にして驚く棗さんと腕を組んで笑う来ヶ谷さん。

     「そだね。ま、こんな日もたまにあったりするのですヨ。あはは…」

 言われてハッと気付く。さすがに普段の葉留佳に比べて高スペックすぎたのか――
 でもでも、私はチャンバラが楽しくて本気になってたわけじゃなくて、何事にも本気で取り組むのが
 私の性分だからそうしたまでだ。うん、そうに違いない!
 葉留佳を演じていても中身はいつものクールな私だ。

     「そういえば先生、来るの遅いのです。」

     「クドリャフカ君は聞いていなかったのか?次の国語の時間なら自習になったそうだ。
                  ――そもそも始業のチャイムが鳴ってすでに20分近く経っている。」

     「ぬあんですってっ!?」

     「あれ? でも、はるちゃんはまだ私たちの教室にいるよ〜。違うクラスの人なのに。」
     「はるか、隣のクラスも自習なのか?」
     「いえ、普通に授業をしている声が聞こえてきますけど…。」

 西園さんの言葉に、徐々に全員の視線が私に集まってくる。
 この教室では休み時間と同じようにみんな思い思いに過ごしているので全然気付かなかった…。
 とっくに休み時間は終わり、違うクラスの私は授業をサボっていた事に――

     「あはははは…なんていうか特別自習? そろそろ帰らないと…またネ!」

 爽やかに手を上げて速やかに教室から撤退する。
 そうよ、葉留佳を演じていても中身はいつものクールな私だ。ぜったいぜったい、いつもの私なんだから…っ
 ぐす…っ 別にチャンバラに夢中になってたわけじゃなくて、葉留佳だったらこうすると思ったから
 やっただけなんだもん…! 本当だもん!

 そこからは私の未体験ゾーンが始まった。
 教室の後ろのドアからこっそりと忍び込んで、ほふく前進でズリズリと教室の床を自分の席まで這って
 いたところを、消しゴムを落とした女子に叫ばれて、敢え無く私は反省文10枚の審判を即時下された。


           :
           :



     (うぅ…。よりによって先生だけじゃなく仁科さんにまで叱られたぁ…。)

 寮長制度や風紀委員会制度が生徒の自主性を尊重しているのか、こういった注意は風紀委員の範疇に入る。
 半ば呆れ顔の仁科さんに長々とありがたい説教を頂いてやっと今解放されたところなのだ。
 最後に「今日の三枝さんは殊勝なのですね」と言われた時には、気分は地の底にまで落ちた。
 死んでも、中身は二木佳奈多でした、てへっ☆ なんて言えるはずもない。
 言えば風紀委員会でクーデターが起きて二木政権は崩壊だ。

     (これからは違反者への説教は極力短く済ませる事にしましょう…)

 そう心に誓いながら、私は中庭へと足を急がせる。
 静かに仁科さんの注意を聞いていたおかげで、昼休みに入ってから思ったより時間は経っていなかった。
 私はこの昼休みにリトルバスターズのみんなと中庭で昼食を食べる約束をしていたのだ。
 みんなを待たせちゃ悪いもの。さて、どこにいるのかな――

     「あ、はるちゃんが来たよ〜。こっちこっち〜。」

 中庭の芝生でシートの上に座っている一団の中から、手を振っているのは神北さんだった。
 よく見ると西園さんとクドリャフカもいるようだ。さっきまでの暗い気分も吹き飛んで私は笑顔で手を振り返す。

     「やー、風紀委員会の説教が長引きまして〜。」
     「しばらく待っていて良かったです。ここ、どうぞ。」

 西園さんの隣に空けられたスペースに私は腰を降ろす。
 見ればみんなお弁当には手をつけず、お茶をすすっているだけだった。
 私が戻るのを待っていてくれたのだろう。こうして待ってくれる仲間がいるのがなんとなくくすぐったい。

     「お、こまりんのサンドイッチおいしそうだネ!」
     「ですよね。私も今度作ってみようと思いますっ」

 クドリャフカと笑いながら私も持参のお弁当をシートの上に広げる。
 "葉留佳" になってからたった数時間しか経っていないのに、私は完全に馴染んでしまっていた。
 それはきっと一緒に時間を過ごしてきた "葉留佳" だからこそ、みんな受け入れてくれている。
 なら "佳奈多" だったら?――そう考えると私の心に隙間風が吹いているような気分になった。

     「――あ、リキ。お昼は食べたのですか?」
     「ううん、食堂に行くのが遅れちゃって…今日は抜きかな。」

 手ぶらでウロウロしている直枝理樹を見つけてクドリャフカが声をかけた。
 確かにこの時間から食堂に走ったとしても、いいランチにはありつけないだろう。

     「それはいけませんね。私のお弁当でよければ少しお分けしますよ。」
     「それなら私のサンドイッチがおすすめだよ〜」
     「え、ありがとう西園さん、小毬さん。それじゃお言葉に甘えて――」

 私の対面に腰をおろす直枝理樹。
 と、何かを気にしているようにあたりをキョロキョロとし始めた。

     「どしたの、理樹くん?」
     「芝生でシート敷いてお昼食べてても大丈夫かな? 風紀委員とか二木さんに注意されないかな?」

 なるほど。確かに以前そんな事をした覚えがあった。
 私は水筒からお茶をコップに注ぎながらその時のことを思い出す。
 今思ってもさすがにあれは言い過ぎたと反省している事の1つだ。

     「直枝さん、大丈夫ですよ。校則ではお昼休みに芝生にはいって昼食をとるのは問題ないはずです。」
     「それに今の佳奈多さんはそんな事で何か言ったりする人ではないのです。」
     「うん、そうだね。はるちゃんと仲良くなってからはすっごく優しい人だよ〜。」

     「……!」

 二木佳奈多について笑顔で話す神北さんと西園さん――それは私にとってはあまりに意外な言葉。
 風紀委員としての二木佳奈多はリトルバスターズにとってあまりいい存在ではなかったはずなのだ。
 また風紀委員会記録にもリトルバスターズとそのメンバーは要注意人物・団体としてリストアップされている。
 私以外の風紀委員も注意して廻っているのだから、その首魁たる私のイメージなんて地の底だと思っていたのに…

     「そうですね。私が本を無くしたときも暗くなるまで一緒にグランドや教室を探してくれました。
      夜には雨が降りそうだったので、グランドで見つけてくれてあの時は本当に助かりました。」

     「私も屋上に締め出されたとき、二木さんに助けられたよ〜。ドライバーも取り上げられなかったし
      注意するだけで心配してくれるのも伝わったし、絶対いい人だよー。」

     「佳奈多さんは私がからかわれていると、どこからともなくやって来て相手をKOしてくれたのですっ」

     「………っ」

 みんなのその言葉を聞いて不覚にも私の目頭は熱くなっていた。
 それらは全て私が風紀委員の仕事としてやったに過ぎない本当に些細な出来事――
 なのにみんな、そんな事を心から嬉しそうに話しているのだ。

 そして何より、葉留佳と接する時と同じ笑顔で二木佳奈多の話をしてくれる彼女たちが素直に嬉しかった。

     「あははー、お姉ちゃんがそれを聞いたら喜ぶと思うヨ、本当に………本当にね。」

     「ところで葉留佳さん、二木さんって――」
     「お姉ちゃんなら今日は体調が悪いみたいでお休みだよ。」

 直枝理樹の質問を先取りするように私は答える。
 私が葉留佳に成りすましているので二木佳奈多は病欠なのだ。
 今頃、葉留佳は昼ドラでも見ながらせんべいでも齧っている事だろう。

     「いや、二木さんあそこにいるんだけど。」

     「ブフーゥ!!?」
     「ぎゃあぁぁぁぁっ!?」

 口に含んだお茶を思いっきり直枝理樹の顔に噴出してあわてて指差した方向に振り返る。
 そこには髪をテールアップにまとめ手を腰に当てた、あまりに見慣れた女生徒の姿――


     「二木先輩、校内の巡回終わりました。特に問題は起きていないようです。」
     「ふふ、ありがとう。でも、問題がないのはつまらないわね。そうね…、あなた。
      退屈だから、あひょーとかうひゃーとか叫びながら踊ってくれないかしら?」
     「え、えーっ!?」
     「ほら、はやくなさい。風紀委員長、二木佳奈多の命令よ。」
     「あ…はい! それでは…あひょー! うひゃーっ!」

 クリムゾンレッドの腕章を突き出しながら笑う "二木佳奈多" 。
 命令のままにあひょー、うひゃーと叫びながらポーズをとっているのは風紀委員の1年生だった。
 周りの生徒たちも何事かと集まってその様子を見物している。

     「葉留佳さん…キミのお姉さんって、ナニやってるの?」
     「い、いや、その……あはは…映画監督?」

 中身を改めるまでもない――あれは葉留佳だ。
 私が葉留佳に化ける事ができたのと同じように、容姿だけなら葉留佳が佳奈多になることも可能なわけで…
 いや、それよりも――!

     「二木先輩。生徒会への報告終わりました――って、これは何事ですか!?」
     「ほら、そこのあなた。あなたも踊りなさい。これは風紀委員長、二木佳奈多の命令よ。」
     「えーっ!? そんなめちゃくちゃな――」
     「聞こえなかったかしら? 私は二木佳奈多よ?」
     「そ、そんなぁ…。いくらなんでも――」
     「二木佳奈多よ?」
     「うぅ…。分かりました……」

 半分泣きそうな顔をしながら盆踊りを踊っているのは仁科さん。
 やがてその輪は徐々に大きくなって、果てには風紀委員が十数名、奇妙なダンスを繰り広げるまでになった。
 その惨状に野次馬も何やらヒソヒソ話をしている。

     「おい、二木先輩どうしちまったんだ?」
     「風紀委員のストレスがたまっておかしくなったんじゃねー?」
     「二木なら授業の時からおかしかったぜ。前の時間でさ、"五里霧中" がどういう意味か説明しろって
      先生が二木を当てたんだよ――」
     「状況が把握できずにどうしていいか分からなくなる状態の事だろ?」
     「いや、ゴリラがバナナを夢中で食べてる絵描いて、『何かに夢中になる様子です』って説明してた。
      あまりに自信満々に説明するから先生も四文字熟語辞典引きなおしたらしいぞ。」
     「すごいな、それ…」
     「なんでもその前の授業で宿題を忘れた理由が、名古屋人に火炎放射器でノートを焼き払われたとか。」
     「それ名古屋人を敵に回してねー?」
     「いや、二木があまりに自信満々に説明するから、先生も愛知県警に電話して確認してたぜ?」

 漏れ聞こえる野次馬の話し声に私は深くうな垂れる。
 クーデター、問責決議採択、二木政権総辞職――いくつものワードが頭の中をぐるぐると回っていく。

     「………(∵)(∵)」
     「ま、まぁ…二木さんも葉留佳さんの姉だから、そういう素質はあったって事じゃないかな?」
     「わふーっ!? 佳奈多さん、いきなりトップギアなのですっ!?(>ω<)」

 言葉を失う神北さんや西園さん、そして目をまん丸にして驚くクドリャフカ。
 ダメだ、コイツ。はやくなんとかしないと――

     「お、探したぜ理樹。大事な話があるんだ…って、なんじゃこりゃぁぁ…!?

 恭介君もドン引きだ。
 当然だろう。あの二木佳奈多が風紀委員に囲まれて何だかよく分からないダンスを笑顔で踊っているのだ。
 今は手をつないで宇宙人を呼ぶ儀式をやっている。誰が見てもこいつらヘンだって思う――

     「――って、きょきょきょ恭介君…っ!?」
     「…なぁ、三枝。おまえの姉はどうしちまったんだ? 今日は何がそんなにめでたいんだ?」
     「あははははは……なんだろネ? 独立記念日?」

 完っ全に恭介君の事を忘れていた…。私としたことが彼女らと一緒に遊んだり喋ったりするのが楽しくて
 当初の目的をすっかり失念していたのだ。
 いや、それよりもこれ以上、恭介君の前で二木佳奈多のイメージを壊させるわけには――

     「あの…お姉ちゃん?」

     「ふふ、いい感じで盛り上がってきたわね。ではそろそろ風紀委員会の女王も本気で踊るとしましょうか。
           あひょー!うひゃ〜〜っ♪ひゃっほーーーぅ!!(><)


           :
           :




     「二木先輩、頭打ったらしいよ?」
     「え、やっぱりそうだったのか。って事は原因は三枝なのか。
      ほら、三枝がものすごい勢いで走ってきて二木の後頭部に飛び蹴り食らわしてただろ?」
     「え、三枝さんが蹴る前から二木さんは弾けてたって話だけど――」

 授業も終わり放課後の喧騒の中――
 通り過ぎていく生徒たちの中からそんな話し声が聞こえてくる。
 現在、"二木佳奈多" は自室で療養中。愛情溢れる妹によって強く療養を勧められたからだ。

     (あらゆる意味で終わった気分だわ…はぁ……)

 ズーンと沈み込んだ表情のまま、私はグランドに向かって歩いていく。
 昼休みの中庭で全校生徒に見られた…。っていうか、恭介君に絶対ヘンな子だって思われてる…うぅ…。

     「でも意外だよな、愛想なし、素っ気無し、配慮なしの風紀委員長が実は面白いヤツだったし。」
     「だよねー。近づきがたい雰囲気しかない人だと思ってたけど、案外そうでもないのかも。」

 そんな声も聞こえてくるが、とりあえず慰めにはならなかった。
 第一、明日から二木佳奈多に戻った私はどう振舞えばいいのか分からない。
 あ、それよりもまず、風紀委員会のみんなに謝らないと…。
 でもなんて説明するの? ちょっと早めのクリスマス? 体張ってギャグやりました?

 ――カキーン

 そんな心配事に色々と思案を巡らせているうちにグランドに到着した。
 すでにリトルバスターズの面々は野球の練習を始めているようで、棗さんが投げたボールを直枝理樹が
 打ち返している。
 恭介君は私の姿を認めるとタイムをかけて私に駆け寄ってくる。

     「やはは、遅れましたヨ。」
     「よし、来たか三枝。さっそくだが守備練習を始めるから位置についてくれ。」

 そう言って右利き用のグローブを投げてよこす恭介君。
 私はそれを左手にはめると、軽く準備運動をこなしてライトの守備につく。

     「そら!しまっていくぞって声をかけろ、理樹!」

 恭介君、お昼休みの私を見てどう思ったんだろ…?
 ショートの守備につく彼の横顔を見ながら私はまた考える。
 でもそれは考えるまでもない――ヘンな子だ。

     (ううぅ〜〜〜〜ああぁぁ〜〜〜〜〜〜っ!!)

 ひとりグランドでかぶりを振る。
 一度印象付けられた人間のイメージっていうのは、より強烈なイメージで上書きされない限り、
 なかなか元に戻ったりはしない。だからこの先、二木さんちの佳奈多さんはヘンな子。
 しかもそれは恭介君に対してだけじゃなくて、他のリトルバスターズの子に対しても、激しく
 インプリンティングされているに違いないのだ。

 あ、でも私が三枝葉留佳から二木佳奈多に戻ったら、そもそもリトルバスターズの子たちとは
 ほとんど接点がなくなるのだから、別にヘンな子と思われたって――

     「………」

 そこまで考えて私は急に寂しい気持ちになった。
 私が佳奈多に戻ったら、もう神北さんや西園さん、それに来ヶ谷さんたちと新聞紙ブレードではしゃいだり
 することもないし、一緒にランチを食べながら笑いあう事もなくなるんだ。
 廊下ですれ違ってもそのまま素通りして、彼女達が騒いでいるのを風紀委員らしく注意して廻るだけ――

     (せっかく友達になれたのに……)

 でも、それは違う――だって彼女らは三枝葉留佳の友達であって、今日一緒に騒いで笑ったのは
 三枝葉留佳となのだから。
 何の事はない。私ひとりだけ彼女らの友達になった気でいたのだ。

 ――カキーン

     「ふふ…」

 それでも私は嬉しかった。
 葉留佳が私にプレゼントしてくれたリトルバスターズとの楽しい時間――
 きっとそれはかけがえのない思い出になるだろうから。

 この野球の練習が終われば私は二木佳奈多に戻っていつもどおりの日常を過ごしていくだけだろう。
 でも明日から、今までの私とは違う新しい自分に生まれ変われる気がする。

     「ライト! ライナー飛んだぞ…!」

 だから、今この瞬間を精一杯楽しもう。
 なんだかんだいって、それが本当の "私らしい" という気がしてきた。
 決心した私は笑顔でグローブに拳をバスッと叩きつけて気合を入れなおす。

     「よーし、はりきって行こ――うごっ!?

 鈍い衝撃を鳩尾に受けたと感じた刹那、白い玉がコロコロと地面に転がっていた。
 このボールが私の鳩尾に直撃したのね――そう、理解しながら私はガクリと地面にヒザをつく。


           :
           :




     「三枝。今日はもう帰って休んどけ。」
     「ええ〜〜〜〜っ!? まだ始めたばっかりだよぅ〜!」

 保健室のベッドの上で恭介君の言葉に私は抗議の声を上げる。
 立ち上がろうとするも、やっぱりおなかのあたりがまだ痛むらしくベッドから離れられない。

     「無理するな。それにボーっとした状態で野球の練習してても怪我するだけだぞ。」
     「ううぅ……」

 反論できずに私は低く唸る。
 グランドで考え事に耽っていた私は飛球に気付かず、ボールはおなかを直撃――
 倒れた私をいつぞやのように恭介君が保健室に運んでくれて今の状況に至るのだ。
 …言うまでもなく完全に、ボーっとしていた私が悪い。

     「次の試合まで日も遠いんだ。何も今日の練習に固執する事はないさ。」

 恭介君はそう言うけど、葉留佳がくれた時間は今日までなのだ。
 それを思うとこのミスは取り返しのつかないものだったと再確認させられてヘコむ。
 いつも私はそうだ――どうでもいい事はなんだってうまくできるけど、私が本当に大事だと思った
 事は大ポカをやらかしてしまう。

     「うぅ…きっと始まったばかりだから慣れてなかったのですヨ。」
     「三枝、ファーストの謙吾の掛け声にも全然気付いてなかっただろ。」
     「いや〜、太陽がまぶしくてミスしてしまいましたっ」
     「この曇り空で太陽が眩しいなんて、三枝はホントにポエマーなんだな。」
     「実はアダムスキー型UFOが飛んでいたのですヨ!」
     「俺が見たのはワーム型UFOだったぜ?」
     「うぅ〜〜〜恭介くん、意地悪ぅ〜〜!」

 ふくれて見せるが、そんな事は意にも介さず涼しい表情のままの恭介君。
 まぁ確かに私が恭介君の立場だったら練習は休ませるだろう。
 だけどそれは明日があるから――取り戻す事ができるから言い得る言葉なのだ。

 だからその恭介君の優しさは今の私には、とっても残酷。

     「それじゃ三枝、ちゃんと休んでから寮に戻れよ。」
     「…うん、分かった。ありがとう、恭介くん。」

 保健室のドアに手をかけて出て行こうとする後姿に私は静かにバイバイと手を振る。
 多分これがリトルバスターズとの最後のお別れだろうから――
 せめて悔いが残らないようにしっかり手を振ろう。

 が、何かを思い出したように恭介君は途中で振り返る。

     「おっと忘れるところだった。ところで三枝、二木のことなんだが――」
     「え? お姉ちゃんがどしたの?」

 唐突に話が自分に飛んできて一瞬ビクッとする。
 できれば、あのハイテンション過ぎる "二木佳奈多" には触れて欲しくない話題だ。
 本当に頭を打った事にしておこうかしら、とでも思ってしまう。

     「野球チームとしてのリトルバスターズは知ってのとおり、控えの選手のいないギリギリの
      状態で試合をやってるし、マネージャーも西園1人で何かと忙しい。」

     「うん。全部で10人しかいないからネ。」

     「そこで、運動神経がよくてついでに頭のいいヤツがうちのチームに欲しいと思ってたところ
      なんだ。――ちょうど二木みたいなヤツがさ。」

     「え? それって――」

     「俺たちはどうしてもそんなメンバーが欲しい。これはみんなに相談して全員から了解を得た事
      なんだが、ぜひ二木をスカウトしたい。よって、三枝には二木を説得するミッションを与える。」

     「恭介君……」

     「だから、おまえがミッションに成功したら二人で練習に来てくれ。
                        ――俺たちリトルバスターズの11人目のメンバーとしてな。」

 そう言って恭介君は爽やかに私に笑いかける。


 ――その笑顔に私は全ての言葉を失った。


 だって、今言ってくれた言葉は、私がいくら望んでも無理だった事で、私の中で絶対に叶わないと思っていた夢。

     (葉留佳が私にくれた時間――終わらなくなっちゃった。)

 両手を重ねた胸の奥がじんわりと熱くなってくる。
 まるで夢みたい――だからその夢が私の両手から零れ落ちないように夢中で恭介君に答える。

     「うん! 絶対にミッションは成功するから…! お姉ちゃんが断るわけなんてないよ!」

 私の言葉に恭介君も笑い返す。

     「ああ、それじゃ三枝、このミッションおまえに任せたぜ。でも、その前にちゃんとここで休んでいけよ?
      ――それから昨日、右頬に当たったのも冷やしとけよ? 2,3日してからアザが出る事もあるからな。」

     「うん。ありがとう、恭介くん――」
     「よし、また明日な!」

 それだけ言い残すと今度こそ、恭介君は保健室を後にした。
 確かに恭介君の言う通り、昨日ボールが直撃した右頬もちゃんと冷やしておかないと…。
 今でも触ったらほんの少しだけ痛いし――


     「――って、あ? あっ!? あああーーーーーーーーーーーっ!?」


 右頬を抑えながら私は叫ぶ。
 昨日、右頬に打球を受けたのは "二木佳奈多" だ。
 そしてさっきまで一緒にお話していたのは、恭介君から見て "三枝葉留佳" なのだから――

     「恭介君に正体バレてたぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ ////」

 思い返してみると、グランドで恭介君は私に右利き用のグローブを渡してきた。
 ――ちなみに葉留佳は左利きで私は右利きだ。
 いえ、ちょっと待って。確か新聞紙ブレードの時だって私は右手に新聞紙を構えていたような……
 それに恭介君は『全員に了解を得た』と言ってたのだから、それってそれって――

     「う、うわぁぁぁ……っ 」

 その最悪のシナリオに私は頭を抱える。
 葉留佳が他のみんなに私の正体をまだバラしていない可能性を考えると、それは結構絶望的。
 というよりも、葉留佳は最初から私をリトルバスターズに引き入れる目的で計画していたんじゃ――

     「お、覚えてなさい…! 後でお仕置きしてやるんだから…っ! うふふ…っ」

 だったら佳奈多計画は大成功だ。

 言葉とは裏腹に私の顔は全然怒っていない。むしろ笑いまくってる。
 今頃、寮の部屋でゴロゴロしながらニヤけている妹にどんなお仕置きをしてやろうかと想像しながら
 私は保健室のドアに手をかけた。








 【終わり】



 あとがき

 このたびは読んで頂きありがとうございます。
 おもに葉留佳シナリオのあとの葉留佳と佳奈多がどんな日常送ってそうかを想像して書きました。
 本編シナリオではドロドロ展開だったので、せめてSSの中ではふざけあったり、直接お互いを
 思いやるような姉妹の絵が見たかったのですよ。

 海鳴り



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