アーバンサバイバル −所持金120円−
 










     「まずい…軍資金が尽きた。」


 人通りの激しい往来の中、俺――棗恭介はひとり立ち尽くす。
 普段、暮らしている学園とその近辺とは比べ物にならないほどの賑わい――
 東京のど真ん中で、手のひらに乗った数枚の硬貨を見つめながらため息をつく。

     「くそ…っ 会社説明会なのに交通費が出ないだと…!?」

 こうして俺が東京にやってきた目的は就職活動。
 地方に支社がある場合でも会社説明会や採用試験などは、本社のある東京というケースが多い。
 一般に都心近くに住む者ほど有利と言われるのは、こういった事情からだろう。
 そして俺のように地方からやってくる者にとっては交通費はバカにならない。

     「しかし、部門によって交通費の支給の有無が違うなんてありかよ…」

 今朝方手渡された資料を眺めながら頭を垂れる。
 エントリーシートを提出し、書類選考は突破した。
 そして会社説明会と筆記試験では遠隔者には交通費が実費支給される事になっていたのだが…
 どうやらそれは部門ごとによるようで、あいにくと俺の希望する部門では交通費支給無し。

 ――小毬風に言えば、"それはとってもクライシス。"

 頭の中に、人差し指を頬に当ててニッコリと笑う小毬が浮かんできて、ひどく疲れた気分になる。

 簡単に言えば危機的状況である。
 当てにしていた交通費がもらえないため俺はここから学園寮まで歩いて帰らねばならない。

     (…それは考えたくないな。だが問題は――)

 ――ぐぅ〜〜〜

 その音には悲壮感すら漂う。
 腹が減った。いい加減、限界なのか…腹の虫の自己主張があまりに激しい。

     「まずは身体に栄養を入れねーと話にならないよな…」

 どんなに重厚な戦車だって、戦場で燃料が切れれば鉄の棺桶に過ぎない。
 歩いて帰るにしてもそこまでの所要カロリーは確保しておかなければならないだろう。
 さしあたってその為のライフラインともいえるのが、コイツらなのだ。

     (100円玉1つと10円玉2つ…)

 120円――経済力で近所の小学生に勝てる自信が無い。
 カロリーを確保しつつ帰るには心もとなさ過ぎる。というよりもできる事なら歩いて帰りたくない。

 だが、泣いても笑って全財産はこれだけなのだ。
 銀行口座に残高がない以上、キャッシュカードも無意味。
 携帯電話の電池も切れてしまい外部に助けを呼ぶ事もできない。
 なまじ助けを呼んでも助けられないなら意味が無い。

 つまり俺はこの120円だけで東京砂漠を渡り切らねばならないのだ――



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 棗恭介の全財産
  ・120円
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アーバンサバイバル
−所持金120円−









     「はい、ありがとさん。」


 都内ではあまり目にする事も無い駄菓子屋――
 俺は10円と引換えに5円チョコを2枚手に入れた。
 現実世界の回復アイテムは結構高い。だから取るべき栄養は何か、必要なものは何か考えなければならない。
 空腹時に必要な栄養素はたんぱく質でも脂質でもない――頭を働かせる糖分なのだ。
 すぐさま俺は封を切って口の中に放り込む。

     「あぁ… やっぱりコイツは最高だぜ。」

 舌の上を安っぽいチョコレートの甘味が溶け込んでいく。
 それと並行して頭が徐々に回転の速度を増していく。

     「きたきたきたぁぁぁーーっ!!」

 染み渡る糖、力、活動源――
 クスリをきめた薬物事犯のように俺は大空に向かって叫ぶ。
 近くを歩いていた猫が必死の形相で逃げていくが気にしない。


     (残り110円…)

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 棗恭介の全財産
  ・110円
  ・(10円⇒チョコレート:そのまま費消)
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 単純にカネを手に入れるなら、パフォーマンスを見せて物乞いするか、自販機の下を漁るか、ゴミ箱に
 捨てられている雑誌を拾い集めて古本屋に行けばいい。
 だが、そいつはちっとエレガントさに欠ける。腐っても俺は棗恭介…リトルバスターズのリーダーなのだ。
 いつ何時もあいつらの兄貴であり続け、世界中にいる幼女のお兄ちゃんでもあり続けねばならない。

 ――だから俺は考える。
 どんな局面であっても頭を使えば打開できない局面などほとんどないはずなのだ。

     「貨幣の三作用…交換、貯蓄、投資――」

 一般的に人間が貨幣を行使するにあたって3つの作用が考えられる。
 品物と引き換える『交換』、貯め続ける『貯蓄』、そして貨幣を資本に変えて投下し原資以上の回収を図る『投資』。

     「やはり "投資" か――」

 俺は2つめのチョコレートを口の中に放り込む。

 110円で投資――
 時代が違えば笑われる事も無いだろうが、その額はあまりに少なすぎる。
 まず、110円で購入できる投資手段を頭に思い浮かべる。

 宝くじ――
 ダメだ。発表まで時間がかかり過ぎる。即時性が無いのでコイツはなしだ。他には?

 ロトD――
 宝くじよりは即時性が強い。だが、何のメドもなしに乱数を正解させるなど運以外の何者でもない。
 人間が神のような万能な存在を目指したいのなら、決してサイコロを振ってはならない。
 なぜなら、アインシュタイン曰く、神はサイコロを振らないのだから。…よって、この選択肢は無しだ。他には?

 競馬――
 即時性は文句無し。オッズという形式で一応の確率は示されており、ロトDよりは運の密度は高くない。
 技術や経験があれば確率はそれに応じて高められるだろう。当然、俺にそんなものはない。
 それに示される確率も投票によって決まるものだ。示されたオッズと事実上の勝率は必ずしも比例しないし、
 俺にはそれを見破る知識も経験も持ち合わせていない。
 おまけに1枚しか買えないのでは完全に運――確率は十分な試行回数を前提に成り立つ概念なのだ。
 "同様に確からしい" と言えない以上、一発勝負に確率を持ち出すのは実はあまり意味がない。
 同じ理由で競艇も競輪もダメ…おしいがコイツはなしだ。

     「…いや、競馬のような形式でオッズと実倍率が比例するものがあるじゃないか…!」

 だがそれは直接現金を得られるギャンブルではない。
 周りを見渡すと、街をぶらつく若者の姿に子連れの家族の姿――
 場所は都心で今日は休日…顧客数……営業時間………交換チャネル………。

     (悪くないな…)

 顔を上げて不敵に笑みを浮かべる――その視線の先には年端も行かぬ笑顔の少女。
 その手に揺れる黄色の風船。手に抱えたクマのぬいぐるみ。大手スーパーの福引の広告。
 2つめのチョコレートが舌の上から完全に消滅する頃、俺は所持金を増やす算段を積み上げきったのだった。




          :
          :






 一歩足を踏み入れると耳に飛び込んでくる大音量のBGM。
 メダルが擦れ合う音もうるさいが、子供達の甲高い笑い声もこの耳を劈(つんざ)く。
 ――ここは都心にある巨大アミューズメントパーク。
 休日とあって年齢層も性別もバラバラの人間が集まり娯楽に興じているのだ。

     (…やはり足りないか)

 コインの交換レートを見て俺はため息をつく。
 15枚遊戯用コインを買うのに300円必要なのだ。バラ売りはなし。最低ラインが300円――

     (学園の近所のゲームセンターじゃ、1枚10円だったのにな…)

 俺が今腕を組んで唸っているのが遊戯用コインの交換機。
 このアミューズメントパークでは、スロットもメダルゲームもクレーンゲームも共通のコインを使用する。
 そのコインの購入単位は15枚300円が最低――つまり、所持金110円の俺にはコインを購入する事が
 できないのだ。

 だが、心配には及ばない――
 俺は目当ての集団・人間がいないか歩き回って探し出す。

     「ああ、当たりだな。…だが全員男かよ…っ」

 それはすぐに見つかった。
 5人の小学生らしいグループがビンゴマシーンの前で騒いでは散ってを繰り返していた。
 カップには大量のメダルが積み込まれていた――おそらくは大穴にオールインして当たったのだろう。
 俺は明るい笑顔でその小学生のひとりに近づいて声をかける。一番メダルを持っているヤツだ。

     「よっ! 儲かってるかい?」
     「え、何ですか?」
     「大したもんだな…見てたぜ。この短時間でここまで稼ぐなんてやるじゃないか!」
     「あははは…。」

 対人折衝の基本――まずは誉める。
 誉めるというのは、相手に明確なポジションを与えて自己像の外的強化、帰属欲求を満たす意味を持つ。
 自分がありたいと願う自己像を他者が明確に肯定したとき、当人は相手に対して非常に友好的になる。
 一般に『自分が認められたければ、まず相手から認めろ』と言われるのはこうした即席の信頼関係を前提とする。
 ゆえに、誉めるという行為は相手を客観的に評価する意味合いよりも、親密な関係を望むアピールとしての意味が強い。

 対小学生女児用に開発した話術だが男子にも通用する部分はある。
 その証拠に少しずつ話すうちに、その小学生表情が綻んでいった。

 ――よし、緊張は解けていないが、警戒はほとんど解いた。
 このまま切り出しても問題は無いと確信して単刀直入に切り込む。

     「メダルさ、これで売ってくれないかい?」

 そういって手元に100円玉を差し出す。
 小学生の経済力から考えて初期投資のメダルは、おそらくあの5人の共同出資によるものだ。
 最低投資額の300円を5人で割ったとなれば一人頭60円程度。
 500円で25枚のメダルを買ったとしても100円。

 この店のメダルが現金に換金できないことなど小学生でも当然承知だ。
 意外に小学生は自分の持っている金額の詳細に明るい。これは自己の処分できる金額に対して、明確に使途を
 イメージして把握しているところが大きいからだ。ゲームを買うにはあといくら足りない、又は買えばいくら余るか――
 この把握能力は目的なくある程度のお金を財布に入れる習慣のある大人になるほどアバウトになる傾向がある。

 またメダルが投下資本以上になって還って来ると分かれば、彼らが提案に応じないはずはない。
 特にこの小学生は見たところ300枚以上はメダルを持っている。

     「よかったらさ、これで10枚ほど売ってくれないかな?」
     「うん、いっぱいあるからいいですよ。」

 ――交渉成立…!
 俺は内心ほくそえむ。

 小学生に限らず、財貨の相対的価値は保有する富の増加曲線に応じて一定限度まで肥大化していく。
 急に大金が転がり込んできたら高い食事をしたくなったり、移動にタクシーを使ったりするのもその顕れだ。
 自分が金持ちである事を確認するためにこのような満足充足型の行動に走りやすくなり、それが判断能力の
 高くない小学生なら尚の事。

     「あ、15枚ぐらい持って行っていいですよ。」
     「お、サンキュ! さすがだな…幸運を祈るぜ!」

 そう。地道に働いて手にした金銭は時間をx軸、富の保有量をy軸にゆるやかな上昇曲線を描くが、
 ギャンブルで得た富は急激な上昇曲線を描く――自然、富に対するテリトリー意識も薄く、満足充足が優先される。
 ほんのちょっとのコインよりも、成功した自分が大物であるように振舞いたいのだ。

 俺は100円をコイン15枚に変える事に成功した。

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 棗恭介の全財産
  ・10円
  ・ゲーセンのコイン15枚
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     「へ…っ いい出だしじゃねーか。」

 これから15枚のコインを元手にコインを増やしていく事になる。
 コインの表に描かれたこのアミューズメントパークのマスコットキャラは擬人化されたペリカン。
 ――よって暫定的に俺はコイツの貨幣単位をペリカンと名付ける。俺が持っているのは全部で15ペリカンだ。

 一番大事なのが増やしたコインを換金しなければならない点。
 当然、この店で換金はできないし誰かに売りつけることも難しい。
 というよりも誰かに遊戯用コインを売りつけることは禁止されている。さっきのは相手が規範意識の低い小学生だから
 こそなしえたウラワザなのだ。同じ事を逆に俺がやろうとしてもほとんど不可能。

 …だから、この遊戯用コインを現金に換えるにはちょっと頭を使わなければならない。

     「――と、それよりもまずコインを増やさないとな。」

 俺は施設の内部を隈なく見回す。
 目当てにしていた競馬ゲームがあって、その他にはメダルゲーム、ビンゴゲーム、スロット、そしてクレーンゲーム。
 まずは当初の予定通り、競馬ゲームの席についた。

 競馬ゲーム――
 コースに馬の模型が6体並んでおり、これがコンピュータの処理で競走を始めるというもの。
 が、予めどの馬が何着かはレース前から決定されており、その確率はそれぞれオッズという形で忠実に反映されている。
 つまり、競馬という外形とは関係なしに、これは純粋な確率ゲームである。

 投票方式は1着のみを当てるものと、1着2着の組み合わせを当てるものの2通り。
 1着のみを当てる方は倍率も低く、払戻しの額は小さい。
 一方、1着2着の組み合わせを当てるものは比して倍率が高く、高額の払戻しを期待できる。
 前者の倍率は2倍から20倍――レースを観察していると2倍以下のオッズも等しく2倍として処理されるようだ。
 後者の最高倍率は10倍から300倍――最高コイン1枚賭ければ300枚になって帰って来る。

 ここで俺がやるべきは、1着のみを当てる方式――
 すぐさまメモ帳にボールペンを用意してレースのオッズ一覧と結果を書き込んでいく。

     (メルセンヌ・ツイスタ? XorShiftか?)

 どちらの乱数方式でもいい。
 俺がしなければならない事は乱数の精度を確認する事だ。
 あまりに高配当を連発するようでは困る。俺が求めるのは偶発性の薄い平穏な状態なのだから。
 その点、コイツはまぁまぁよしだな…。

 俺は手持ちの15ペリカンをコイン投入口に放り込み機を窺(うかが)う。

     (倍率は4倍が最低で他は10倍前後か…)

 パスだな。

     (倍率2倍と倍率4倍が2つ…他は20倍近くか…)

 これもパス。結果は倍率4倍のヤツが1着…よし。

     (倍率2倍と他は10倍前後――)

 ――この状態を待っていた。
 倍率2倍とは2分の1の確率で1着になる事を意味する。試行回数を重ねていけば平均的に2回に1回は
 1着になるのだから、倍率2倍に2回賭ければ1回は当たる計算。

 そして、俺が記録をとり始めた倍率2倍の馬が登場するレースにおいて倍率2倍の馬が勝ったレースは8個。
 対して、勝たなかったレースは16個。これは1/2の確率から乖離した理想的状態なのだ――

     「5ペリカン賭ける――もちろん、倍率2倍の馬にだ。」

 しばらくして投票締め切りの合図が鳴り、やがて馬が一斉に盤上を走り出す。

 …もちろん、俺が記録をとる以前のレースがどうかは分からないし、確率である以上、偏差も否めない。
 例えばコインを4回投げて1回でも表が出る確率は15/16――93.75%の確率。しかし、3回投げて3回とも
 裏が出たからといって、4回目にコインを投げて表が出る確率は50%でしかないのだ。
 確率とは確定していない事象に対する概念であり、コインを投げて裏表が確定した事象は確率の範疇にはない。
 コインは積み上げる事ができても、確率は事象が確定した時点でその枠外にはじき出され、決して積みあがらない。

 ――だが、高度の蓋然性を伴って確率の偏差は修正され、倍率2倍の馬が出るレースではその馬が勝ち続ける。

 なぜか?
 まず、これはコンピュータを使って乱数をはじき出しており、偶発的な偏った結果が出にくい設計になっているからだ。
 この手の電子遊具は営業時間が終われば電源を切られるため、短い周期で確率を修正しようとする。
 確率が数字どおりの2分の1に落ち着くまでに何日も要していたのでは確率の意味がない。遊具の電源を切られて
 偏った時点でリセットされれば2分の1ではなくなるからだ。それでは仕様書の精度を満たしたと言えない不良品だろう。
 この不都合を解消するために1時間周期で確率は当初の数字どおりに落ち着くと考えてよい。
 人間が作るものだからこそ、表示された確率とテスト結果が一致するものが高品質として評価される。

 2分の1の確率が現在、8:16と大幅に偏っている。確率に示された実数と現実の乖離度が高い状態なのだ。
 2分の1になるためには、あと8回、倍率2倍の馬は勝たねばならない。見た目には50%の確率で勝つことになっているが、
 設計上の乱数の精度を充足するためにこれからは勝ち続けることだろう。

 レースは終盤の追い込みに入っていた。

 全部のレースに参加したり、高額配当を狙って6倍、7倍の馬に賭けるのはあまり賢いやり方ではない。
 飽くまでも倍率2倍の馬が出たレースで乖離度が高い状態を確実に狙って集中して投資していくのだ。
 ――ギャンブルで勝つためには運任せの文字通りギャンブルに走ってはならない。

     (確率、乖離度、乱数――それらを考えれば俺が勝てない道理はない。)

 俺が賭けた馬がゴールラインをトップを突っ切り、払戻しのメダルが軽快な音を立てて転がり落ちてくる。


          :
          :





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 棗恭介の全財産
  ・10円
  ・620ペリカン
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     「ひゅーっ 思ったよりもうまくいったぜ。」

 2時間後――
 積みあがる銀のコインの山。小学生達の憧憬の眼差し。
 暫定的、かつ非常に部分的に俺は富裕層への仲間入りを果たした。

 やはり義務教育の数学の勉強は怠ってはならない――特に大事なのは確率と二次関数だ。
 この2つはあらゆる分野に応用が利く。知ると知らないとでは結果に大きな違いが現れてくるので大切だ。
 成功するためには何も難しい専門知識はいらない。基礎的な知識を他の分野に応用するだけでいい。

     (さて、ここまではお遊び――本題はこれからだ。)

 ――次は、このペリカンを現金に換えていかなければならない。
 今いる限られた空間の限られた施設でしか、この通貨は価値を持たないのだから。
 だが実のところ、それが最も困難であり頭を悩ませていた部分だ。

     「よっこらせ…と」

 俺は椅子に腰をおろして、下のフロアを見つめる。
 建物の構造上、真ん中に大きな吹き抜けがあり、俺が座っている位置から下層フロアが見渡せるように
 なっている。休日なので家族連れの姿を多く認める事ができる。

 ――時間は午前中をとうに過ぎて昼下がり。
 少し急いだ方がいいだろう。俺がターゲットにするのは家族連れなのだから、彼らが消えないうちに
 準備を済ませておく必要があった。
 おろした腰を落ち着けないうちにすぐさま立ち上がって、俺はフロアを移動する。

     「軍資金は十分――」

 ガシャンと音を立ててメダルを満載したカップをクレーンゲームの上に置く。

 ――クレーンゲーム。至極メジャーにどこにでもある、景品掴み取りゲーム。
 そうなのだ。次に俺がしなければならないことは……かわいらしいぬいぐるみをゲットする事。

     「ターゲットは今4歳児から小学生高学年に至るまでに人気のアニメに登場するマスコットだ!」

 しかもデカいヤツを狙う。小さいものより、デカいものの方がインパクトも強く人気があるからだ。
 すぐさま、アクリルケースの中に無造作に詰まれた大きなぬいぐるみを観察する。

     (コイツは5回必要だな。だがイケる…!)

 一番上でうつ伏せに倒れた猫らきし生物のぬいぐるみを見据える。
 1度で取ろうとしてはいけない。クレーンで掴んで引っ張り上げようとしてもいけない。
 クレーンに取らせるべきアクションは――上から押し付ける事だ。

 クレーンを対象の端に押し付けてぬいぐるみを徐々に移動させる。
 これを何度も繰り返し穴付近まで追い込んでいくのだ。

 ――ボテッ☆

     「まずは1つゲット!」

 口の端を吊り上げて俺は声を殺して笑う。
 ファンシーなぬいぐるみを抱きかかえて笑う。
 横で俺を見ていた子供が泣いているがそれでも笑う。

 ぬいぐるみはこの調子で行くとして、箱に入った商品も同じ要領で穴へと追い込んでいく。
 箱の場合は角を押す事で反対側が浮き上がり回転してしまう特性も利用できる。

          :
          :



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 棗恭介の全財産
  ・10円
  ・猫もどきのデカいぬいぐるみ×8
  ・癒し系パンダのデカイぬいぐるみ×5
  ・丸いイノシシのぬいぐるみ×2
  ・フランス人形×1
  ・ラジコン×3
  ・ナース服×1
  ・伊勢海老×1
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     「はは…予想以上に獲れちまったぜ…」

 1時間としないうちに俺の両手には抱えきれないほどの荷物――
 ぬいぐるみ3種は直接的戦力になってくれるだろう。
 ラジコンも男の子相手にはいい品だ。フランス人形は人を選ぶな…。
 ナース服は帰ったら小毬に着せよう。伊勢海老は…食べるか。

 品物は揃った。
 この手の景品は換金しようにも買い取ってくれるチャネルが存在しないのだ。
 だがそれは商売としてないだけであって個人となれば話は別。
 ――つまり誰かに買い取ってもらうのだ、コイツらを。

 とはいえ、現金を出して景品を買おうと言う人間はあまりいない。
 そもそも無理してまで欲しくない上、そんなモノのためにカネを払いたくないからだ。
 なら、どうすればいいか。

 ――買わざるを得ない状況に追い込めばいい。
 何もカネを払わせるわけではない。俺が狙っているのは原始的な交易手段…物々交換だ。

     (さて…このあたりでいいか。)

 俺は大量のぬいぐるみと伊勢海老を床に降ろす。
 休日の家族連れで賑わうショッピングモールでよく見かけるもの――福引だ。
 家族連れでショッピングにきている場合、購入金額に応じて福引の券が渡され即時に使用される。

     「1等や2等に興味はない。俺が知りたいのは――」

 残念賞――買物優待券500円分…!そして期限は1ヶ月!
 ファンシーなぬいぐるみ達に囲まれながら、俺は俯き加減にほくそえむ。
 この買物優待券を俺は集めればいいのだ。
 そして、ここに来ているほとんどの家族連れにとって、この買物優待券は価値がない。

 ――それはなぜか?
 まず、福引は買物が終わった客が引くものなので、状況的にこの買物優待券は次来た時にしか使えない。
 そして、ほとんどの客はまた次くる事はないだろう。
 なぜなら家族連れでこのショッピングモールに来ている人間のほとんどが、非日用品目当てかアミューズ
 メントパークの娯楽目的だからだ。
 そして購入金額が大きい客は非日用品目当てに限られる。
 家具や大型のおもちゃ、キャンプ用品をそう頻繁に買いにくる事はない。
 店側もその事情を知っているので形だけの景品として買物優待券を配っているのだ。使われる事のない
 買物優待券ならば、顧客に相応のサービスを提供した結果と、決して経営を逼迫しない恩恵を享受できる。
 昭和から広く使われてきたせこい経営手法だ。

     (そう、この残念賞はポケットティッシュよりもはるかに無価値…!)

 いわば価値のない証券を配っているようなものだ。
 事実上の価値はないが顧客を得させた気分にさせてくれる。
 だが俺にとってはそれが有利……500円という安価なところも心理的障壁が低くてGOODだ。
 これが4桁になると、また来るかもと思って財布にしまってしまうかもしれない。

     (そして今いる俺の位置取り――)

 福引の場所からそんなに離れていない広場。
 家族連れ全員で荷物を持って福引に並ぶわけではなく普通、両親の片方が荷物を持ってこの広場で待つ。
 一方、子供は面白がって福引のガラガラを片方の親と回しに行くだろう。
 ――そして大概は残念賞。そのまま広場のもう片方の荷物を持った親と合流するという流れだ。

     「俺はその間隙を突く…!」

 伊勢海老の頭を指で撫でながら俺は顔を上げる。
 ちょうど残念賞をひいた親子連れが俺の前を通りかかっているのだ。
 推定5歳の女の子がぬいぐるみの存在に気付いた…!

     (対象を確認…鑑定開始――98点!ひゃっほーーーーぅ!)

 レベルAAAのロリッ娘だ。おそらくは猫が好きに違いない。
 俺は猫のぬいぐるみの腕をつまんで極めてフレンドリーに手を振ってみせる。

     (ふふふ…何も知らずにノコノコと…。さぁ、恭介お兄ちゃんのところにやってくるといい――)

 外れたくじ、反動、転移、魅惑的なぬいぐるみ――
 女の子は不思議の国に吸い寄せられるようにトコトコと俺の前のぬいぐるみまでやってくる。
 買物で疲れが見えたその表情に笑顔がはじけた。

     「わ〜、ボタンだ〜! ボタンだよ〜!」

 何!? こっちのイノシシのぬいぐるみかよっ!?
 俺はすぐさま猫のぬいぐるみを手放してイノシシのぬいぐるみに持ち代える。

     「こら、汐。そろそろ帰るぞー。」
     「ボタン〜♪」

 いい感じだぜ。無邪気な顔してぬいぐるみに見入ってやがる――

 きっと手を引いて帰ろうとする親の言葉は届かない。その子供の目に映るものは目の前の大きなぬいぐるみだけだ。
 福引では豪華賞品を棚先に大きく展示して子供の好奇心を極端にくすぐり、それが手に入らなかった反動を
 俺の持つぬいぐるみに転移させる。

 やがて子供は泣いて喚いてそのぬいぐるみを欲しがるだろう。
 親はそんな子供の脇を抱えて引きずって行こうとするが、さらに泣き声はヒートアップ。
 絹を裂いたような泣き声に衆人の視線は集まり、親はたじろぎ子は叫ぶ。
 そこで俺は魅惑的な提案をするのだ。「よかったら、どうぞ」と――
 だが、タダでは受け取れない親は、手に持っていた買物優待券を代わりに俺に渡して礼を言うだろう。

 そして俺はその買物優待券を貯めて本を買うのだ。本なら食物や消費物と違ってすぐに売ることができるうえ、
 減価償却が少なく、現金化に向いた商品だからだ。
 やがて、現金を手にした俺は優雅に列車に揺られて学園までまっしぐらってワケさ。

     (ふふっ 完っ璧な計画だな――)

 目の前の帽子をかぶったかわいらしい女の子を見つめながら俺はほくそえむ。
 おまえの親は帰宅の合図を出したんだぞ? だが、ボタンちゃんとはお別れしたくないだろう?
 さぁ、泣け! 叫べ! そして…ねだれ!

     「それじゃ、ボタンちゃん、またね〜♪」
     「っ!?」

 な…に…? そんなバカな…!
 手を振ってそのまま去っていく女の子を俺は呆然と見送る。
 その歳でその分別はあり得ん…! なぜ子供っぽくぬいぐるみが欲しいとねだらん!?
 それはおまえの年齢なら許される特権。なぜそこまで自我を強く押さえ込むのだ?
 ――何が、小さなおまえを大人にしてしまったのだ?

     「あ、猫だー! お父さん、猫さんだよー?」

 ――! 振り返れば違う女の子が俺のぬいぐるみに興味津々といった感じ。
 対象確認…鑑定開始――65点! まぁ、良しとしよう。
 すぐさま俺は頭を切り替えて猫のぬいぐるみとユニゾンする。

     「やぁ、こんにちわ☆ 猫の行進、にゃんにゃん♪」
     「わ〜〜〜☆」

 俺の演技は大好評である。女の子はキャッキャと騒いで猫のぬいぐるみに夢中である。
 怪しさを隠し、小学生女児とお近づきになる絶好のアイテム――ぬいぐるみ。
 俺は何度も練習を繰り返したぬいぐるみの操作を華麗にこなして見せる。
 ふふふっ、そうだ、それでいい。
 次の瞬間、俺は女の子の背後にやってくる親の姿に目を光らせる。

     「ほら、帰るぞ。」
     「やだやだーっ! 猫さんと一緒がいいの〜〜!!」
     「………(ニヤリ)」

 それが通常の反応だ。さっきの子はあまりに大人すぎた。だから心配なのだが――

     「あの、すみません。このぬいぐるみ、娘が気に入ったみたいで…譲ってもらえませんか。」
     「ええ、どうぞ。ぬいぐるみも喜ぶと思いますよ。」

 そう、日本人は飽くまで謙虚に出て相手はその様子を察して阿吽の呼吸で買物優待券を差し出せばいい。
 これぞジャパニーズ美学…!

     「どうも、ありがとうございました。よかったな! それじゃ帰ろうか!」
     「うん、猫さんだー♪」

 なん…だと……?

     「ちょ……待……っ」
     「〜〜〜〜〜♪」

 そんなバカな!?
 いい年した大人が何の返礼もなしに貰うだけ貰って去っていくなんて…!
 それでも良識ある日本人なのか…?

     「あ、これ最新のヤツじゃん!もーらい〜♪」
     「こら!待て、クソガキ――」
     「おーい、帰るぞー。ん?…おまえ、それどこからもってきたんだ。」

 ラジコンを持ち逃げしたガキの親が不思議そうにしている。
 よし、親御さん。ここは親の威厳ってヤツをガツーンと見せ付けてやれ――

     「拾ったんだよ。」
     「そうか。それじゃ帰るか。」

 んま…つぁっ!?

     「わーい、ダレパンダ拾ったよー!」
     「良かったね、いい子にしてたから神様がくれたんだよ。」

 チョギッ!?

     「大きな猫さんだー。」
     「サービスかしら。まぁいいわ、持って帰りましょ。」

 刹那、視界がぐにゃりと歪む。
 なんだ…? いったい何がどうしたっていうんだ…?
 いつから日本人はここまで常識をわきまえなくなってしまったのだ?
 ジャイアニズムに汚染されてしまったのか――
 『俺のものは俺のもの』でも『おまえのものも俺のもの』ではないはずだ。

 自我と他者の分別に極めてシビアだったのは過去の事――
 今では他者を慮(おもんばか)る親切心はナンセンスな考え方なのだろうか…。
 勇気をもって信念を貫こうとして散っていった人間は、『自己責任』の一言で全て片付けられてしまうのが普通なのか?
 『誰かが幸せになれば私も幸せ』――こいつらはそんな考え方は時代遅れだと笑い飛ばすというのか――

 排他的自我の拡大。
 リベラリズムに傾いた近代国家群は個人の尊重を標榜し、一方で個人はその意味を拡大解釈し続けた。
 人権が前国家的性質である事は自明の理だが、ソーシャリズムもまた淘汰の上に成り立つ強調的・自然発生的な枠組みなのだ。
 もはや現代に "社会" は存在せず "個の集まり" が不揃いに自己主張を繰り返すだけ。
 いつのまにか、全体よりも部分の総和に価値が見出されてしまったのだ……社会という枠組みが作られた歴史的経緯を省みる事無く。

     「あまりに価値観が違いすぎるのか――」

 俺は地に手をつきうな垂れる――だが、俺はそれでも構わなかった。
 時代遅れでもナンセンスでもいい。おれはたったひとつの魔法の言葉を信じつづけているのだから。

     「あのぬいぐるみたちは子供を笑顔にしてくれたじゃないか。だから…それはとってもプライスレス。」

 ふっと笑う。どんな偉人の格言よりも俺は小毬のこの言葉に感動したのだ。
 だから俺はぬいぐるみを無償で子供達に与えて笑顔をみるだけで満足なのだ。
 相手が "AAA" の美少女でも "C" の極めて残念な子でも、そんなの関係ない。
 キミのその笑顔だけで十分だよ――ぬいぐるみをそのまま持っていってしまう女児の背中に俺はそっと微笑みかける。

     「お、ナース服が落ちてるじゃん――」

     「触るな、クソガキィィィィィ!!」



          :
          :





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 棗恭介の全財産
  ・10円
  ・ナース服
  ・伊勢海老
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     「はっ! 今の俺はとことん爽やかだぜ?」

 アミューズメントパークを去り、俺は駅前の飲み屋街を彷徨う。
 斜陽を横顔に受けながら笑う。が、なぜだか涙が止まらない。
 アイテムをほとんど待ち逃げされたこの時点で、十二分に計画は破綻していたのだ。もはや伊勢海老だけが友達だ。
 伊勢海老のひげをツヤツヤと撫でまくるが何もいい事がない。

 だが収穫はあった。
 神なる美少女1名、トップクラスの美少女1名、クラスに一人はいそうな美少女3名、ちょっとかわいい美少女4名、
 市井の美少女6名、イマイチな美少女12名、残念な美少女132名――
 全てこの恭介お兄ちゃんのまぶたの裏に焼きついているぜ。
 心のアルバムがまた数ページ増えちまった…

     「お、兄ちゃん。そいつは伊勢海老じゃねーか?」
     「ん?」

 見れば頭にネクタイを巻いた中年のオヤジが俺の伊勢海老を見つめていた。
 日も暮れぬうちから宴会でメートルを上げきってしまったのだろう。
 赤ら顔に千鳥足のオヤジは笑いながら俺に話し掛ける。

     「今日は競馬でバーっと当たりやがったからよぉ…どうでぃ? そいつ1万円で売ってくれねぇか?」
     「一万円――!」

 それは渡りに船の提案だった――だが俺はその時ふと昔の事を思い出していた。
 青函トンネルを徒歩で渡ったあの時、鷲が俺に懐いていた。
 なぜか山から俺についてきて、それから旅を続けるうちに飯も寝床も共にするようになった。
 1つしかないソーセージを半分に分け合い、共に大樹の下で身を寄せ合うように眠っていた。
 絶滅したと思われていたニホンオオカミの襲撃にも二人でなんとか耐えしのいだ。
 野に自生するキャベツを摘んでいると、怒った原住民が追いかけてきたが、俺は鷲の足に掴まって逃げ延びた。

 ――そこには確かに友情が存在した。

 人間と動物だとか関係ない。
 俺達はその時、まぎれもなく互いを思いやる友人だったのだ。
 俺は右手の伊勢海老に目を落としてふっと優しく微笑んだ。
 その黒くつぶらな瞳、張りのある触角を見つめて俺は決意を固めた。

     「すまないがコイツを売るつもりは――」
     「んん? 一万じゃ足りねーかぁ? そいじゃ消費税入れて1万とんで…500円!!」

 俺は迷わず酔っ払いオヤジの手をガシリと握り締める。

     「交渉成立だ。持っていくといい。」
     「よーし、今日は鍋だ、鍋! …と、兄ちゃん、左手に持ってるそれはナース服かい?」
     「ああ、そうだが…」
     「そいつを10万円で譲ってくれないかい?」
     「断る。例え100万500円積まれても俺は男のロマンを売るなんてできないさ。」
     「そうか…。兄ちゃん、アンタ男だな…! んじゃ!」

 酔っ払いオヤジは伊勢海老を手に上機嫌に去っていった。


          :
          :





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 棗恭介の全財産
  ・10005円
  ・ナース服
  ・海老ちゃんバーガー×3
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     「捨てる神あれば拾う神あり…ってことか。はっはーっ」

 ハンバーガーショップから出ると意気揚揚と笑う。
 新発売のハンバーガーを2つ腕に抱えて、さっそく1つ頬張る。

     「1万もあれば東京と学園を往復してもお釣りが来るぜ!」

 そう、1万円…! 余裕で学園まで帰る事ができ、なおかつお釣りもハンパじゃない。
 まさか就職活動に行って収入が出てくるなんて思っても見なかったぜ。
 歩きながら、人差し指と中指に挟んだ一万円札を上機嫌にはためかせる。

     「よし、このあたりがいいな…。」

 駅前まで着くと手近なベンチに腰を下ろしてハンバーガーをまた1つ取り出す。
 電車の時間までまだ随分とある。それまでここで人間観察をしているのもいい。
 すぐさま集団下校の小学校高学年の一団を見つけると、俺は手で双眼鏡の形を作って覗く。

     (54点…32点…42点…62点…22点…3点…38点…51点…)

 ふむ、あまりパッとしないな――
 花は野に咲いてこそ美しいが、野に咲く花は数少ない。
 ならば、と思い直してすぐ近くで募金活動をしている女の子の集団の方を向く。

     (65点…50点…)

     「あ、ボタンのぬいぐるみのお兄ちゃんだ〜!」
     「おぉぉ…コイツは98点!――ん?」

 手を下ろすとそこには福引会場にいた小さな女の子。なんと――
 この神なる美少女は…死んでも名前を忘れん。汐ちゃんだ――こんなところで再会するなんて運命を感じるぜ。

     「ねぇ、何してるの?」
     「うん? 恭介お兄ちゃんかい? 恭介お兄ちゃんは町の平和を守っていたんだよ。」

 そうなんだぁ、と唇に指を当てて不思議そうな表情で俺の顔を覗き込む。
 まぁ所詮は小さい子なのだ。大人が何を思っているかなんて想像できるもんじゃない。

     「恭介お兄ちゃんはわたしみたいなカワイイ子を見てハァハァしてたんだね!」
     「うぬおおおぉぉぉぉ!?」

 親の顔が見てみてぇぇっ!!
 なぜこんなかわいい子に『ハァハァ』なんて言葉を教える…!

     「く…っ、さておき汐ちゃんは募金活動をやってるのか〜。えらいね〜!」
     「うん! しお はいい子だから、ぼらんてぃあしてるの。あ、そうだ! えーと…」

 おもむろに気をつけの姿勢をとる汐ちゃん。

     「ぼきん。 ごきょーりょく、おねがいしま〜す!」

 首から下げた紙製の募金箱をずいっと俺の顔の前に突き出してニッコリと微笑む。


     (ぐはっ!?)


 刹那、俺の世界が何かによって塗り替えられていく。
 色あせた駅前の景色もくすんだ都会の空も色鮮やかに生まれ変わっていく気がした。
 まるで目の前の少女を中心に町が息吹き始めたように、世界が活気に満ち溢れていく。

     (美少女…上目遣い…頼みごと――ぐはあぁぁぁッ!)

 頭を金槌で叩かれたような衝撃が全身を駆け巡る。
 意識は幾星霜を遡り、萌えワードが俺の前頭葉を染め上げる。

 人類の叡智をも超えた魅惑的なその組み合わせ―― 
 その春の桜のような肌はマイ ロマンス!
 その夏の向日葵のような笑顔はマイ ジャスティス!
 その秋の紅葉のような小さな手はマイ エクスタスィー!

 穢れぬ無垢な瞳が、毒気を抜かれた俺の顔を青空と一緒に映し出す。
 あまりにも美しく、そして愛らしくあるその姿に、俺は伸ばしかけた手をふと止める。

     (違う…! 汐ちゃんは恭介お兄ちゃんに生まれて初めてわがままを言ったのだぞ?)

 募金、ご協力お願いしますと――
 すぐさま俺は財布を取り出して、汐ちゃんの抱える募金箱に小銭を……

     「うおぉぉぉぉ!? 万札か5円玉の二択しかねぇ!!」

 頭を抱えて絶叫する。
 ここで俺が5円玉をいれたら汐ちゃんはどう思うだろうか?
 期待はずれな結末にその笑顔を涙でくしゃくしゃにしてしまうかもしれない。
 初めてお兄ちゃんに勇気を出してわがままを言ったというのに、それはあんまりじゃないか?

 黙ったままの俺に汐ちゃんの表情に影が差す。
 やっぱりわたしのわがままだったんだ。こんな事いってごめんね、お兄ちゃん――
 その目がひしひしと語りかけてくるのがお兄ちゃんには分かる。



     「…はっ! 俺らしくないぜ…」



 もう俺の心は決まっていた。
 ふと目を閉じて俺は静かに笑う――"それはとってもプライスレス"
 迷う事なんてなかった。俺は俺であり、そして俺がここにいることを証明しつづけるため…
 俺は今、汐ちゃんの笑顔を咲かせなければならない。

 そして…この町と住人(14歳以下の女の子)に幸あれ。




     「さらば諭吉ぃぃ!!」










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 棗恭介の全財産
  ・5円
  ・ナース服
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 【終わり】



 あとがき

 勢いで書いてしまいました…。これまた適当に読み流してもらえればと思います。
 えーと、恭介はこのあと、小毬の待つ学園までナース服を持って歩いて帰ります。

 海鳴り



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