Renegade Busters 第13話「愚者」
 









 もう夜中の3時を過ぎた頃だろうか――
 いつものループの始まりと同じように、僕は校舎の前に立っていた。

     「………」

 今まで何度もこの世界を繰り返してきたけど、未だかつてここ以外の場所から始まった事はない。
 この世界でそう決められているのだろうか。
 あるいは、ある時点から僕らが動けないだけなのかもしれない。

 ――死んでも次のループには生き返っている繰り返しの世界。
 僕らがいるのは壊れてバラバラになった世界。
 世界は壊れてしまったというのに…何のために僕たちはここにいるのだろう?

     「そうだね……ノートを取りに行くんだっけ。」

 鍵のかかっていないドアを見つけるとそのまま校舎に侵入する。
 真人に貸したノートを返してもらおうとしたら、よりによって自分の机の中に絶賛放置中。
 おかげで僕はこんな夜中に教室へノートをとりに行かなければならなかった。

 ――世界が始まるとなぜかいつもその記憶とノートを取りにかなければ、という意志が強く働く。
 誰かが僕に呼びかけているのかもしれない…おまえの忘れ物を思い出せと。

 窓にはいつもの青白い月もまばらに見つけられた星も無い――世界から月も星も消えてしまったのだろうか。
 昼間のいつも見ている学校とはまったく違う風景が広がっていた。
 僕は真っ暗な廊下を火災報知機の赤い非常灯を頼りに進んでいく。

 ――コツ…コツ… コツ…コツ………。

     (もう、葉留佳さんも二木さんもいないんだっけ…)

 ポケットの中に入っているそれを握り締めながら思い返す。
 3日目の朝――とうとうふたりは帰ってこなかった。クドと同じように、突然姿を消したきり二度と現れなかった。
 握ったこぶしをそっと開く。赤くて丸い髪飾り…葉留佳さんと二木さんのものに間違いない。
 消えたと断言できるわけじゃないけど、再び会う事があればちゃんと返さないと。

     (味噌の匂いが取れないのは怒らないでよね…)

 カップルヌードの中に入れた時点で本人は覚悟していたと思いたい。
 できるだけ洗ったけどゴムの部分が変色している。そしてもうひとつ入っていたこれも――

     「………」

 沙耶はどうしているだろう。
 そういえば世界が始まったとき、沙耶はいつもどこから始まっているのだろうか?
 沙耶の持つ領域は僕や真人と同じ…男子寮の部屋のはずなのに。
 それに、何故僕はいつもここから世界がスタートしているのだろう。男子寮の部屋が僕の領域なのだから、そこから始まっても
 良さそうなのに変な感じだ。

     「おっと、そうだった。教室にノートを取りに行かないと…」

 僕は暗い廊下をひとりで歩き出す。
 こんな事に意味があるのか分からないけど、胸騒ぎか、虫の知らせか――僕の足は誰かに誘われるように階段へと向かっている。













Renegade Busters
第13話「愚者」












 シンと静まり返った教室前の廊下。
 長らく学園の喧騒に疎くなっていたけど、それでも誰もいない学園というのは不気味に感じられる。
 いつだったか、夜中に忘れ物を取りに来たときも、寂しいようでいて新鮮な感覚に少し心が躍っていたのを覚えている。

 見慣れたはずの教室のドア――それを横にスライドさせると一歩中へ足を踏み入れた。


     「――遅かったな、理樹。待ちくたびれたぞ。」


 薄闇の中、読んでいたノートを机の上に置くと、立ち上がって表情を崩す。
 ああ…なんて事だろう。僕はどうして今まで忘れていたんだろう。
 リトルバスターズは全部で10人いたんだ。
 鈴、小毬さん、来ヶ谷さん――今の今までどうして思い出せなかったんだ…。そして――

     「恭介っ!」

 立ち尽くす僕に恭介はいつもどおり静かな表情で語りかける。

     「教室にノートを取りに行け…真人や鈴から聞いてなかったのか? おまえが最初にここに来ていれば、いろいろと厄介事が
      減ってくれたのだが、とりあえずは今こうして来てくれたことでよしとしよう――久しぶりだな理樹。」

 片手を軽やかに挙げて応える。
 恭介だ。どこからどう見ても恭介だ。ははは…っ 足もちゃんとついている。

     「生きてたんだ…」
     「いや、死んだぜ? 蜂の巣にされてな。だから俺はこうしてここにいるわけだ。」
     「…恭介、ここって死後の世界とか天国じゃないよね?」
     「当然だ。だがこの世界は現実の世界でも死後の世界でもない。説明は難しいが夢の世界みたいなものか…。
      俺にも全ては理解できないが知っている事なら何でも話そう。おまえも記憶だって戻っているだろ?」

 言われて再認識する。他の人の記憶だけじゃない。
 これまで僕が体験した事、みんなと過ごした時間、そして何度も繰り返す事ができた世界――
 思考の整理がついたからか、または混乱の極みに達したからか…僕の頭は落ち着いて質問を考えられるぐらいに冷静になっていた。

     「それじゃさ…最初に僕らがいた世界はなんだったの?」
     「おまえと鈴のために創られた世界だ。」
     「僕と鈴…? 何のために僕らに…いや、それよりも今いるこの世界はなんなの?」
     「元々俺たちがいた世界が壊れてしまったものさ。元あった世界というのも、俺たちの思いや記憶が重なり合って生まれ落ちた世界だ。
      それが再び綻んでバラバラになり今の状態になった。」

 やっぱりそうか。だから領域が重なり合った状態で世界を終えると、その人に関する記憶がちゃんと戻ったのか。

     「なら…なんで世界は壊れちゃったの?」
     「そうだな、事の始まりは――朱鷺戸沙耶だ。」

 恭介の口から沙耶の名前を聞いてドキリとする。
 世界が壊れた原因が沙耶にある。頭をよぎる "敵" の正体。際限のない嫌な想像に心が重くなる。
 僕は何も言えず口を閉ざしたまま恭介の話を聞き続ける。

     「元あった世界はみんなで作り上げたものだ。記憶力がある来ヶ谷が世界の全体図を構築して、芸術センスのある西園が空と海を
      生み出し、神北が空に星を描き能美が月を作った。俺も世界の物理法則を設計し、謙吾や真人もいろいろ協力してくれた。
      それはちょうどみんなで画用紙に絵を描くようにして、この "世界" を創ったのさ。」
     「………」
     「世界には管理者が必要だった。この世界が歪んでしまわないように、壊れてしまわないようにするためにだ。俺はその権限を少しだけ
      悪用して、おまえにとびきり面白い世界をプレゼントするはずだった。」
     「とびきり面白い世界…?」
     「――迷い込んだスパイと学園の秘宝を求めて闇の執行部と戦う日常さ。」

 夜の校舎での出会い、屋上での戦い、そして闇の執行部との果て無き死闘――
 今でも昨日の事のように思い出せる。いや、実際に日付の上では昨日までの事だ。

     「そうか、やっぱり恭介の仕業だったんだね。」
     「ああ。だが俺は最初気付かなかったんだ。朱鷺戸沙耶が "朱鷺戸沙耶" だった事に。スクレボの登場人物として世界に作り出しただけ
      だったはずが、あいつだけは少し複雑な事情でこの世界に実在してしまった。」
     「沙耶が…」
     「事態を軽く見ていた俺は放置した。が、それが裏目に出たのか…あいつは俺に戦いを挑み、文字通り世界を手に入れてしまった。
      その瞬間から世界の管理者はあいつになり、俺は世界の最果てに放逐されてしまったというわけさ。それが俺がここにいる理由だ。」
     「それじゃ、この教室は――」
     「俺たちが元々いた世界の切れ端だ。」

 元いた世界に還ったから、こうして記憶もある――
 恭介がその世界をここで細々と維持していてくれたおかげで、全てを失わずにすんだ。
 それにしても恭介に勝った沙耶がスゴイのか、沙耶に負けた恭介がバカなのか…。

     「世界が始まると僕に呼びかけていたのは恭介なの?」
     「そうだが、正確には放送室にいる来ヶ谷がおまえに呼びかけていた。まず、ここにきて記憶を取り戻してもらわない事には
      何も始められないからな。」
     「来ヶ谷さんが呼びかけていた?? それじゃ来ヶ谷さんは恭介と組んで行動していたって事?」


     「私だけじゃないぞ。鈴君も途中から仲間になった。」


 突如、背後で凛とした声が響きあわてて振り返る。
 長い黒髪、右手に携えた日本刀、いつも会うたびに戦っていたその姿と記憶の中の思い出が重なる。

     「来ヶ谷さん…!」
     「ようやく教室にノートを取りに来たのか。くちゃくちゃ遅いぞ。」
     「鈴…!」

 昔から見慣れた姿…頭の中のルービックキューブがカチャカチャと音を立てて噛み合うようにすべて理解する。
 はは…そうだったね。何度も思うけど…なんで今までこんな大事な事まで忘れていたのだ――

     「やれやれ…本来なら理樹、おまえはこの教室から世界を始めるはずだったが、ここは今ある世界とは途切れている。
      だから教室に近い位置で真っ先にここへくるように仕向けておいたのに、ほとんど無駄になったわけだ。」
     「でもそれなら、恭介が直接僕の元に来ればよかったんじゃないの?」
     「そうはいかない。俺はこの教室――元の世界を守っていなければならないからな。ここから出られないのさ。」
     「その代わりに私が動いて、他のメンバーをここに連れてこようとしたのだよ。さて――」

 来ヶ谷さんは手近な机に腰を下ろして脚を組むと少し暗い表情を見せる。

     「まず朱鷺戸沙耶の事について君には話しておかなければならない。」
     「沙耶の事を…?」
     「あの子はリトルバスターズとは何か縁があってここに現れたわけではないんだ。もちろん、現実世界で我々が知り合っていた仲でもない。」
     「うん、それは分かるよ。謙吾も沙耶の事は知らないと言っていたし、リトルバスターズとは関係ないって――」
     「理樹君――君は朱鷺戸沙耶と親しかったのだろう。君にはつらいと思うが、あの子を放置しておくわけにはいかないんだ。
      "彼女" を倒しても、あの子がこの世界にいる限り、元の世界に戻すのが難しいからだ。」

 来ヶ谷さんから目を逸らす。
 元々この世界にいていい存在じゃなかった沙耶。この世界が壊れてしまい、それを元に戻すのには沙耶がここから出て行かなくてはならない。
 沙耶をとるか、世界をとるか――それを僕に選べと言っている。

     「…そんな事、僕に話しても答えを出せない事ぐらい分かってるよね。」
     「ああ、そうだな。だからこれはおまえに覚悟を決めてもらう意味の方が強い。」

 顔を上げられないでいる僕に恭介は言い放つ。
 言っている事は理解できる。元々僕らの世界だったのだから、よそ者は出て行かなくてはならない。
 だけどそれじゃ――

     「……沙耶がこの世界から追い出されると、その後沙耶はどうなるのさッ!?」
     「………」

 今度は恭介と来ヶ谷さんが僕から目を逸らす。
 握ったこぶしから力が抜けていく。僕は…それで全て悟ってしまった。

     「沙耶は――死ぬんだね。」
     「朱鷺戸は瀕死の状態でここにたどり着いた。もう現実世界では生きる事ができるか分からない程の状態らしい。
      あいつも事故に遭い、今は生死の境をさまよっているだろう。」
     「そんな!? それじゃ尚更ここから出て行けなんて――」

     「朱鷺戸が出て行かなければおまえたちが死ぬかもしれないんだよ…ッ!」

 静かに声を荒げる恭介に言葉を失う。
 僕たちが死ぬ…? 突飛もない内容に僕の頭がついてこない。沙耶の話をしていたのに、何で今度は僕らの話に…。

     「りき。これは本当の話だ。あいつと同じようにあたしたちも生きていられるか分からない状態なのだ。
      この世界にいるみんなは…はじめから助かるかどうか分からない。」
     「鈴…」

 自分の肩を抱きしめ寂しそうに僕を見る鈴。その様子からそれが本当だと認識させられる。
 沙耶も僕も死ぬかもしれない…そこまで差し迫った状況で、恭介は決断し動いていたのだ。
 そこまで苦悩して恭介たちが出した答えを僕一人での勝手で否定できるだろうか――

     「理樹君がつらいのは分かる。だからせめて…沙耶君については私たちが始末を付けるつもりだ。
      だがもうひとつ――"彼女" については君がどうにかするしかない。」
     「"彼女"――?」
     「君らは "敵" と呼んでいたはずだ。ふふっ、沙耶君が "敵" ではないぞ。」
     「え…っ」

 沙耶は "敵" じゃない――
 そう言った来ヶ谷さんを僕はまじまじと見つめて聞き返す。

     「沙耶が "敵" じゃないって…それは本当に?」
     「君らはあの子が去ってしまったからそう考えていただけに過ぎない。あの子は誤解されて消されるのを
      恐れて去っただけだ。」
     「そうか…そうだったんだ――はは、沙耶ごめん…」
     「沙耶君は "彼女" と戦ってもう一度この世界を手に入れようとしている。一度 "彼女" に奪われてしまった世界を、
      そして自分の居場所を取り戻すために。」

 たったひとりで帰る場所もなく今も戦っている沙耶――
 来ヶ谷さんたち、それに "敵" 、僕らからも敵として見なされて、それでもなおひとりで戦っている。
 そうだ。沙耶の負担を減らしてやらなければ… "敵" が沙耶じゃないとみんなが分かるだけで状況を変えられるはずだ。
 そのためには "敵" が誰なのか知らないと――

     「――"彼女" というのは誰なのさ?」
     「それが…分からない。だが、おまえなら知っているはずだ。」

 すると恭介はさっきまで読んでいたノートを手に取ると僕に近づきそっと手渡す。
 ごく普通のキャンバスノート。見覚えがない…それは僕のものではない。
 それに "敵" が誰かなんて僕は知らない。

     「理樹。それを読めばおそらくすべて理解できる。」

 言われたまま、ノートのページをめくる。

     「恭介、これって――」
     「絵本だ。見てのとおり作者は小毬だ。」

 色鉛筆で元気いっぱいにデコレーションされた自作の絵本。
 柔らかなタッチと全体的にほんわりした雰囲気が小毬さんっぽさを絵本の中に映し出していた。
 そんな幻想的で優しい世界に誘われるように、僕は物語に目を落とした。



   小さな森に9人の小人さんが出かけていきました。
   やんちゃな子、物静かな子、やさしい子。いろんな小人さんたちです。
   でもみんなはそれぞれ別の理由で困っていたのです。
   ケンカして仲直りできないで困っている子。
   大きなケガをして動けない子。
   大事なものをなくして途方にくれている子。
   道に迷って泣いている子。
   湖で溺れてしまいそうな子。
   みんな違う理由で苦しんでいました。

   ある日一人の男の子が森にやってきました。
   男の子は困っている小人さんたちを見てひとりずつ手助けしていきます。
   仲直りできないでいる子の手をとって仲直りさせ、
   ケガで動けない子をおぶってやり、
   大事なものをなくして泣いている子と一緒になって、なくしたものを見つけてやり、
   道に迷った子の手を引いて森を抜け出しました。

   8人の小人さんは笑顔になりました。
   あとひとり助けてあげないと…。男の子は再び森に入っていきます。
   するとどうでしょう、森の中から大きな泣き声が聞こえてきます。
   泣き声のする方へと歩いていくと、そこには9人とは違う村からやってきた小人さんがケガをして泣いていたのです。
   かわいそうに…。そう言って男の子は手当てをしてやるとその子を背負って森を抜けて行きました。

   日が暮れました――
   男の子は森に帰ってきませんでした。
   森から声はもう聞こえてきません。
   助けを求める声も泣き叫ぶ声もありませんでした。
   だって最後のひとりは――溺れた子だったからです。

   湖の中では泣くことも叫ぶこともできません。
   男の子が去った後の森はとても静かでした。



     「………」

 指が震える――めくったページに続きは書かれていなかった。
 結末のない物語を読み終えて、何かに縫い付けられてしまったように僕の体は動かなくなってしまう。
 溺れた子はどうなってしまったのだろう――なぜ…男の子は溺れた子を助けに戻らなかったのだ。

     「小毬はずっとおまえたちを見ていた。おまえが他のヤツを救う様子を見てそのたび笑っていたさ。
      みんなが笑顔でいられますようにと願いながらな。」
     「あ、ああ…」
     「世界が壊れた時に小毬をなだめるのは大変だったんだぜ? ずっと自分の中に引きこもって、ひとりだけ
      救えなかったのを自分のせいにしてさ…ただ、運が悪かっただけなのに――」

 ノートの最後の方の文字は滲んでしわになっていた。
 本当ならみんなが笑顔でいられる結末を描きたかったのだろうに――

     「理樹。お前の忘れ物は真人の机の中にある。俺にはそれが何なのか分からないが、大事なものだろ?」
     「………」

 いつも真人が座っている席。
 乱雑とした机の中に手を入れて手に当たったものを取り出す。

     「あ、あぁ……そんな――」

 沙耶と出会って忘れていたのだ――小毬さんの絵本でひとりだけ救われなかった子。 
 その子は湖で溺れて声をあげる事もできず、静かにこの世界から去ったんだ。
 いつか男の子が助けに来てくれることだけを信じて。

     「あ、あ…ぁ……うわあああああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 …もう手遅れだ。
 それが分かった時、僕は床に崩れて泣き声を上げていた。
 ごめん、本当にごめん――決して届かない言葉をただ心の中で何度も呟き続けた。
 気付かなかった…いや、忘れていたんだ。僕は敢えて見捨ててしまったんだ。


 だから今も――後悔だけがこの空に残った。


     「ごめん…僕はきみに何もできなかった。」

 落ちる涙、肩に伝わる体温。
 泣き震える僕の肩に来ヶ谷さんがそっと触れて囁く。


     「――教えてくれないか、理樹君。 "彼女" とはいったい誰なんだ?」


          :
          :


















 校舎を抜けて男子寮への道を歩いていく。
 夜は静かだ――誰もいない昼間と誰もいない夜を比べてもきっとそう思うだろう。
 自分以外のありとあらゆる存在が闇の中に溶けてしまったような錯覚を覚えるからだろうか。

 ――ザッザッザ…

 地面を踏みしめた時の土の音。
 僕の足が地に付けた足跡は誰かに気付かれる事なく、けど確実に短いながらも僕が通った道筋を示す。
 通り過ぎた時間は還らない。繰り返した思い出は決して消えない。

 ――ザッザッザ…。

 男子寮の入り口…腕を組んで壁にもたれかかる姿を見て僕は立ち止まる。
 ずっと僕の味方でいてくれた心強い親友――良かった、まだ世界にいてくれたんだ。

     「――真人。」
     「理樹、ちゃんと俺の机の中にあったろ?」

 握り締めたそれを前にかざして、真人の言葉に黙って頷く。

     「ありがとう。恭介に聞いたよ、世界が壊れてしまったとき、真人が沙耶を自分の領域に匿ってくれたって。
      それから僕の大事な忘れ物をずっと持っていてくれたって。」
     「…さぁな。今のオレにはその時の記憶なんてないさ。」
     「それでもさ、お礼を言いたいんだ。」

 真人は最後までみんなの味方であり続けた。
 僕の味方であり、沙耶の味方であり、救えなかった彼女の味方でもあった。
 小鳥が羽を休める大樹のように、ただ黙って苦しんでいる仲間に手を差し伸べていたのだ。

     「――西園が消えた。」
     「そっか…。だったら急がないと。もうやめさせよう、こんな事続けても何にもならないんだ。」
     「つらいぜ?」
     「だけど僕にしか救えない。これは僕の忘れ物なんだから――」
     「分かった、おまえが決めた事に口を出せねぇよ。だが、どこにいるのか分かるのか?」

 僕は天を仰ぎ見る。つられて真人も暗い紫色に染まる空を見上げた。

     「――空さ。夜が明ければきっと会える。これをちゃんと返さないといけないんだ。」
     「がんばれよ…。」
     「うん、ありがとう。 それから…あとで部屋に戻ったら、沙耶の居場所を教えてね。」

 夜が明ければこの空は綺麗な青に染まる――
 僕はそれだけを言い残すと真人に背を向けて、再び校舎へと走り出した。











 【次の話へ】


 あとがき

 書きながら思ったのは…自分、結構容赦ない上悪趣味っぽいです。

 海鳴り



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