Renegade Busters 最終話「もうひとつの世界」
 













 朝の教室――

     「やはー! みなさんお待たせですヨ!」
     「うお!? 三枝じゃねーか! 久しぶりだぜオイ!」
     「なんだなんだ、元気そうじゃないか、はははっ!」

 いつもと変わらない様子で手をシュタッとあげて挨拶をする葉留佳さんに、真人と謙吾がハイタッチで出迎える。
 それに気付いたクドと小毬さんも満面の笑みを浮かべて走り寄る。

     「リキ、三枝さんなのですっ」
     「ヤー、クド公、こまりん、それに理樹君も。そちたちも達者で何よりじゃ。」
     「よかった〜、はるちゃんはケガはもう大丈夫なの?」
     「たはは…まだちょっと足とか痛むけどネ。問題ナッシングですヨ。ほれほれ〜」
     「うわっ、葉留佳さん! そんな走ったりしたら危ないって…!」
     「ひゃふ〜〜〜〜〜っ…おわっ!? あ、あ、姉御!?」
     「ん?…おっと――」

 ――ゴンッ

 教室の入り口で衝突しようとした瞬間、来ヶ谷さんは華麗に身を翻し、結果葉留佳さんだけが廊下の壁に激突する。

     「アタタ…さらりとスルーはヒドイですヨ…」
     「どれどれ…うむ。大事なさそうで何よりだ。」

 来ヶ谷さんは葉留佳さんのおでこに絆創膏をピタッと貼ると、僕のいる机まで歩いてくる。

     「病院以来だな。あまり元気がないようだが…理樹君もケガはいいのか?」
     「ううん…僕はもうすっかり元気になったよ。他の人も今日登校するって聞いて、いても立ってもいられなくなってさ。」
     「そうか…。君も葉留佳君も初日だからあまりは無理はしてくれるなよ? そして…クドリャフカ君も今日からだったな――おかえり。」
     「わっ!?ふ〜〜〜〜〜っ…ただいまなのです…(>ω<)」

 静かに笑みを浮かべると傍にいたクドを抱きしめて頬ずりをはじめる。
 クドは飼い主に頭を撫でられる子犬のように、目をきゅっと閉じて来ヶ谷さんのされるがままになっている。

     「………」

 ――ふと視線をそらす。
 教室を見渡すと半分ぐらいのクラスメイトたちが談笑しているのが見える。
 そして半分ぐらいはまだ席が空いたままだった。…少し前まで普通だった風景はまだ元には戻っていない。

 修学旅行の途中で僕らの乗ったバスは崖から転落した。
 それにも関わらず偶然に死者を一人も出さなかったこの事故に、ニュースはこぞって "奇跡" という言葉を強調して
 連日報道し続けていた。こうして助かった事が奇跡なのかなんなのか、僕らには分からない。
 だけど、みんなで力を合わせて成し遂げた事を奇跡なんて言葉で片付けられるのは嫌だった。

     「やっぱり、真人くんも謙吾くんもケガが治るの早かったみたいだネ。」
     「ま、普段から鍛えてあるからな。」
     「頭を打っちまったが全てはこの筋肉のおかげって事さ。」

 最後に重傷の恭介を運び出した時、もう助けるべき人は全て助け出したはずなのに、僕はなぜか言いようのない無力感に襲われた。
 病院で白い天井を見つめている間、ずっとその事を考え続けた。
 僕たちリトルバスターズでバスに乗っていたのは、恭介と隣のクラスの葉留佳さんも含めて10人。
 …分からないけど、それが僕には何か足りない気がしてならなかったのだ。

     「………おはよう。」
     「あ! 鈴ちゃんだ!」
     「うむ。鈴君だな。再び私の胸に帰ってきてくれてお姉さんは嬉しいぞ。ははは――」

 ――だきっ

     「うにゃーっ!? 離せ、くるがや〜〜っ!?」
     「よいではないか、よいではないか。もそっと近こう寄れ…!」
     「鈴も身体は大丈夫そうだな。…うん?恭介は一緒じゃなかったのか?」
     「んにゃ?バカ兄貴なら朝一緒に出てきたはずだが…けんご、おまえ知らないか?」
     「いや、知らないから訊いているのだが…あいつはまた何か企んでいるな。」
     「恭介クンは後で来るとして…やはー、これであとはみおちんだけですナ。」

     「………っ」

 葉留佳さんの一言を聞いて僕は西園さんの席に振り返る。
 ちょっとした始業前の喧騒の中、そこだけはポッカリと切り取られたように静けさが支配していた。
 まるで僕の心の隅に空いてしまった穴のように、そこには誰もいなかった。

     「…西園さんはまだ身体がよくならないのですか?」
     「そういや、クー公はまだ聞いてなかったな。」
     「? …なにかあったのですか?」
     「西園女史はケガ自体は大したことはなかったそうだ。それこそかすり傷程度だったと聞いている。
      だが――事故のショックのせいか、彼女は心を少し蝕まれてしまったらしい。登校していないのもそういう理由からだ。」

     「来ヶ谷さん! それは…治らないものなの!?」

 思わず席から立ち上がって強い声で聞き返す。
 そんな僕の様子に来ヶ谷さんは一瞬目を大きく開いた後、落ち着いた声で話し始めた。

     「落ち着きたまえ理樹君。医者の話では心因性の疲労だ。最初は精神的な病気を疑われたがもう今では
      すっかり元気になっている。彼女は今日にも登校すると聞いているよ。」
     「あ………あぁ…そうなんだ。本当によかった…よかったよ……」
     「んなワケで、これでオレたちはみんなめでたく今日揃うって事さ。はっはーっ!」

 真人の大きな笑い声にみんなもつられて安堵の笑みを浮かべる。
 西園さんの無事を確認した時、少しだけ僕の心に空いた穴が埋まった気がした。
 でもなぜだろう――ふと西園さんの姿を思い出そうとした時、物静かに文庫本のページをめくる姿ではなく、どこかイタズラっぽい
 笑みを浮かべる "西園さん" が脳裏をよぎった。
 が、それも一瞬の事。小毬さんに手渡されたキャンディーを口に放り込み、謙吾が馬鹿をやっているのを見ているといつの間にか
 そんなイメージも日常の雑音の中に掻き消えていく。

 事故を乗り越えた僕らは、きっとこれからも今と変わらない時間を共有していくだろう――
 それはリトルバスターズ10人にとって十分すぎる程のプレゼントに違いない。
 ――だから僕は誰にも気付かれないように心の中で寂しく笑った。


     「――あ、そうそう。クーちゃん。みおちゃんの事聞いてなかったなら、今日の事も聞いてないよね?」
     「わふっ? 今日何か特別な事があるですか?」
     「ああ、うちのクラスに転校生が来るそうだ。こんな時期なのに続けてなんて珍しいだろう?」


 ――その瞬間、心臓が飛び跳ねた。


     「宮沢さん、その方は今日来られるのですか?」
     「今朝、職員室前で見かけたから朝のホームルームで紹介されると思うが――」
     「うひゃー(><) その転校生、注目の的ですネ。」
     「おっと先生がこっちに来るぞ。三枝おまえも自分の教室に戻れ。」
     「おうっ!? せめてその謎の転校生の面拝んでから…って、バレたらお姉ちゃんに怒られる…!(><)」


 ――きっとそれは予感だった。
 決してありえない世界で、決して出会う事のなかったひとりの女の子。
 思い出せば、振り返れば、癒えることのない傷跡。それでも出会って良かったと思えるひとりの女の子。


     「…わうっ、みやざわさん、みやざわさん! その転校生はどんな人なのですかっ?」


 10人の仲間が生きている事は奇跡じゃない…みんなで力を合わせた必然だった。
 だから本当の奇跡は――


     「そうだな…。背は理樹と同じくらいで髪は金髪だった。それで、ちょっとかわいい感じの――」



          :
          :












     「……男子だ。」
     「わふ〜っ!うぇるかむ・とぅ・まい・くらっす!(>ω<)」


     「ども。斉藤っす!」


     「……(∵)」

 背丈は僕と同じくらいで金髪のかわいい感じの男子が、先生に促されて頭を下げる。

     「今日からおまえらの仲間になる斉藤君だ、みんな仲良くしてやってくれ。」

 少し照れたような表情で頬を赤くして頭をかく斉藤君。教室中の拍手に迎えられて頭を下げまくる。
 さらには不意に沸き起こる斉藤コール。クラス中の誰もが斉藤君の名を叫び天井に拳を突き上げる。
 あぁ、斉藤君。本当にキミはみんなから祝福されているのだね――
 …その瞬間、僕の中で何かがはじけた。

 ――ダンッ!!

     「はぁ〜っ!? ナニソレ?? 斉藤??? 馬鹿にしてんの!?」
     「うわぁ!直枝!?いったいどうした!? 斉藤の何がそんなに気に食わない?」
     「どうして金髪なんて意味の分からない自己主張してるの!?」
     「こ、これは前の学校で尊敬する先輩が金髪だったので――」
     「大体なんでこんな時期に思わせぶりに転校してきてるのっ!? 期待させておいてこの落ちってアンタ、サイテー??」
     「違うっす! お、俺、斉藤っす!」
     「おまえ斉藤っす!」
     「うヒッ!? 意味が分からないっすよ!?」

     「ひ〜!? だ、誰か直枝を止めろっ!」
     「あわわわわっ!? リキが錯乱したのですっ!?」

          :

 ――3分後。

     「はぁ…!はぁ…!…ごめん、ちょっとイライラしてた。」
     「…理樹。おまえ斉藤アレルギーかよ?」
     「どうやらたった今、そうなったらしいね。はぁ…」

 投げやり気味に真人に答えると、僕は机に肘をついて頭を抱える。
 予感というのは思った以上に当てにならないらしい。
 顔を上げると斉藤君は戦々恐々と横目に僕を見てはビクビクしている。…少し悪い事をしてしまったようだ。

     「斉藤は前の学校では陸上選手として有望であり、ジェット斉藤とも呼ばれて――」

 先生の言葉を半ばぼーっとしたまま聞き流してため息をつく。

     「…なぁ、理樹。いったいおまえどーしたんだよ?」
     「どうもしないよ。」
     「いや、なんかさ…少し前からおまえ見てると、魂が抜けたようなヘンな感じがするぜ? 諦めたような生きる力が無いような…」
     「………きっと、そのうち治ると思う。」
     「…だよな。おまえが強いって事はオレたちはみんな知ってるからな。で、いつそれは治るんだよ?早く治そうぜ?
      久しぶりにおまえとクー公とでマッスルカーニバルやりてぇからよ。」
     「………うん。5日ぐらいたったら、クドたちと踊ろうね。」
     「へっ!楽しみにしてるぜ!」

 真人にドンッと肩を叩かれて僕は顔を上げる。
 ただ、どうしようもない別れを経験して、それが最後にさよならを言えなくて、言えなかったさよならの向こうにあるものを
 勝手に期待して…こうして落ち込んでしまっただけだ。
 ――本当はこれ以上望んではいけない事なのに。

     「さて、出席を採るぞ。だいぶ事故から復活してきたな。よし、まずは――」

 出席簿を手に淡々と名前を読み上げていく担任の教師。
 それに応じて返事を返す者も沈黙しか残さない者もいる。
 でもいずれは呼ばれた名前の人は全員、返事を返す事になるだろう。

 ――名前を呼ばれる事も、そしてそれに返事できる事もどれだけすごい事か僕らは知っていた。

     「――ね、真人。」
     「どうしたよ?」
     「夢の中でひとりの女の子と出会ったんだ。明るくて一緒にいるだけで楽しくて、それでなぜか自虐的
      だったりして、とにかく飽きない子だった。」
     「………」
     「でもさ、その子とはどうしても別れないといけない運命で僕もその運命を変える事ができなかったんだ。
      それでもさ…また会えるって予感だけは消えてくれない。もう、会えるはずなんてないのにね…」
     「………」
     「…って僕は何を話しているんだろ。こんな意味不明な事、答えようがないのにね。」

 話すつもりなんて無かったのに、なぜか僕は真人に心の内を明かしてしまっていた。
 ちょっとした不思議な体験。現実とは思えない夢の中の出来事――
 他人に話しても信じて貰えないような事でも、真人ならきっと信じてくれると勝手に思い込んでいたのだ。
 ほら、突飛な内容にさすがの真人も目を丸くしているよ。

     「………理樹。」
     「うん。」
     「おまえが元気になるのに5日ぐらいかかるって言ったよな?」
     「え?そうだけど…」
     「それ、5日じゃないぜ……………………………………5秒だ。」


     「…え?」




     「鶴田…は欠席か。えーと次は――朱鷺戸!…朱鷺戸はいないのか?…なんだアイツはまた遅刻…」




     「どおぅぅぅぅりゃぁぁああ!!」

 ――ガシャンッ!!

     「遅れてすみませーんっ! 朱鷺戸です! 朱鷺戸はここにいまーすっ!」

 粉々に砕け散る窓ガラス。
 僕と真人の背後で派手な音と共に教室に着地すると、その人影はスピードを殺せず机に特攻していく…!

     「って、のわっ!? あんた誰よ? なんで私の席の隣に金髪が座っているのよっ!?」
     「あ、俺、斉藤っす――」

 ――ドゴッ

     「へボぁ…ッ!?」
     「うわ…モロに膝が顔面に入ったみたいだけど――生きてるわね? ならノープロブレムよ。はい!はい!朱鷺戸遅刻してませんっ!」
     「……(∵)」
     「――おい、あや・・。」
     「あー、ごめんねー真人君。割れたガラスで怪我しなかった? ま、大丈夫よね。筋肉だけはあるし。」
     「なんでわざわざ窓壊して入ってくんだよっ!?」
     「あーそれ? ちょっと遅刻しそうだったから最短距離をショートカットしただけじゃない。」
     「っていうか、隣の窓は開いてるじゃねーか!? そっちから入れ!」
     「…あ、ホントだ。」

 ガクリと頭をうなだれる真人。
 その横で僕はその髪の長い女の子に釘付けになっていた。

     「あー、今日から登校してきた人には紹介がまだだったな。朱鷺戸!昨日いなかった連中のために自己紹介だ。」
     「朱鷺戸あやです。昨日からみんなのクラスメートになりました。よろしくお願いします!」


 新しい風が割れた窓から教室の中を吹き抜ける――


     「あや…ちゃん?」

 僕の口から漏れた言葉に、女の子はニッコリと笑顔で応える。

     「うん…! 理樹君、久しぶりだね。」

 ひとつめは眩しさ――
 窓から差し込む陽光をめいっぱいに受けて笑いかける。
 滲んだ視界の先に見えるその姿が僕には本当に眩しかった。

     「うん? 朱鷺戸、直枝とは知り合いだったのか?」
     「はい。幼い頃、家が近所にあったのでよく一緒に遊びました。」
     「そうか…それはすごい偶然だな。ほー…」

 朱鷺戸って直枝と幼馴染だったのかよ? へーなんか運命を感じるね…
 教室中のそんなざわめきの中、すっと手が差し出される。

     「ふふっまた会っちゃった。よろしくね、理樹君!」
     「…はは、あははっ…まったく、何なんだよ…何が何だか分かんないよッ――」

 ふたつめは温かさ――
 僕はその手をやさしく握り返す。
 重ねた手と手から生まれる温かさに不意に瞳から雫がこぼれ落ちた。

     「こ、今度はどうした!? 直枝!? 朱鷺戸まで気に食わないのかっ!?」
     「わ、わふっ!?リ、リキ?」
     「違うよ…違うんだ。ぅ……っ」
     「もう、理樹君は泣き虫なんだから。」

 それ以上は我侭になる――
 叶わないはずなのに、こんな我侭、叶う事なんてないと思っていたのに…
 真人や謙吾、鈴、小毬さん、来ヶ谷さんたちが見つめる中、いつかと同じようにまた僕ひとりが泣いていた。


          :
          :






     「へー、それじゃ〜あやちゃんと理樹くんは本当に幼馴染さんだったんだ〜」
     「不思議だ…。あたしたちよりも前にりきと知り合っていた人がいるとは…」

 昼休みの教室――
 みんなで机をくっつけてランチを楽しみ中、私はリトルバスターズのみんなに質問攻めにあっていた。
 小毬さんと棗さんが目を丸くして何度も私と理樹君に視線を往復させる。

     「それはそうだろう。俺たちと会う前にも理樹はちゃんと生きていたんだぞ?」
     「だけど、そしたらあやちんは謙吾くんが知らない理樹くんを知っている事になるネ。」
     「む…そう言われると多少複雑な気分だな。」

 葉留佳の言葉に謙吾君は腕組みをして低く唸る。

     「まぁまぁ、そりゃ僕にも多少秘密があってもいいと思うんだけど…。」
     「昔の理樹って言っても、とりあえず特徴がなさそうだからな。そんな変わったモンじゃねーだろ。」
     「う。何気にその言葉は傷つくよ、真人…。ところでクド。」
     「わふっ?」
     「…そんなにあやの膝の上が気に入ったの?」
     「ち、ちがいますっ///、これはあやさんが離してくれないだけで…!わぅ〜〜〜〜〜っ(>ω<)」
     「こーら! 暴れないの、うふふ…」

 逃げようとするクドリャフカを後ろから抱きすくめて逃げられないようにする。

     「ふふ、クドリャフカ君が気に入ったようだな。」
     「あ、来ヶ谷さんも分かる? 何だか見てたら無意識のうちに誘拐したくなるのよね。もー。かわいいなぁ〜この子。
      ね、ね、部屋に連れて帰ってもいいかしら? ちゃんと大事に育てるわよ?」
     「あや君。残念ながら寮でペットの飼育は禁止されている。」
     「わふーっ!?」
     「もうゆいちゃん、あやちゃん。クーちゃんはペットじゃないんだから――」
     「そ…そうなのですっ。小毬さんの言うとおりなのです!」
     「犬はペットじゃなくて家族だよね、クーちゃん!」
     「わふーーーっ!?」
     「もう…っ! この子ったら鳴き声までかわいいんだからっ!」

 ――だきっ

     「わうっっっ(>ω<)」
     「…謙吾。あやは放っておいていいの?」
     「能美には悪いがあやの気が済むまで愛玩させておくのがいいだろう――ん、おい理樹。あそこ見てみろ。」
     「え、なになに?…あ!」
     「どうした?…ん。」

 窓際から下を眺める理樹君に真人君。
 それにつられてみんなも窓から首を出して下を眺める。
 私もクドリャフカを抱く手を緩めて椅子から立ち上がった。

     「へへ、足取りもしっかりしているし元気そうだな。」
     「………」

 琥珀色の瞳がゆっくりと私たちを見上げる――
 あの世界で私が戦い続けた行動的で快活な面影は無く、ただ物静かな雰囲気だけを残した女子生徒。

     「おーい!みおちん!」

 葉留佳の呼び声に気付いた西園さんは、階上の私たちに静かな笑顔でお辞儀を返した。

          :
          :



     「揃ったな。」
     「揃ったね〜。」

 満足そうな棗さんの呟きに小毬さんがにこやかに相槌を打つ。

     「…私で最後でしたか。」
     「うん。恭介はまだ来ていないけど、西園さんで一応全員集まった事になるね。」
     「西園、筋肉だ。筋肉を付ければ回復も早くなるぜ。」
     「確かに真人くんが一番回復が早かったですヨ。」
     「それもそうですね。今後の生活では筋トレも前向きに検討してみようかと思います。」
     「マジかよっ!?」
     「嘘です。」
     「んまっ!?」

     「ですが――ふふっ、本当にみなさんご無事だったのですね。」

 西園さんは周りに集まった仲間を見渡して少し嬉しそうに微笑んだ。

     「ははっ、当然だな!」
     「うむ。このとおりみんな元気だぞ。」
     「わふーっ!」

 そんな西園さんの微笑にみんなは笑顔全開で答えるのだった。

 ――そこにいるのは私が会った事のある西園さんじゃない。
 クラスの中心になるようなタイプの子ではなく、目立たずに一歩引いてみんなを見守るようなどちらかと言えば影の薄い女子生徒。
 こうして目の前で見る笑顔はそっくりなのに、今ここにいるのは全くの別人。
 今になって理解する。私だけは西園さんと再会したのではなく、初めて会ったのだ。
 仲間の笑顔を傍目に私だけはひとり違う事を考えていた。

     「――ところでこちらの方は?」
     「っと、西園にはまだ紹介してなかったな――あや!」
     「えっ!? あ、そうね…。えっと、朱鷺戸あやです。昨日からこのクラスに転校してきたの。よろしくね!」
     「西園美魚です。こちらこそよろしくお願いします。」

 お互いにペコリと頭を下げて自己紹介と挨拶を交し合う。

     「あやちゃんはなんと…!理樹くんの小さいときの幼馴染さんなんだよ。」
     「そうだったのですか、でしたらこの学校には直枝さんを追いかけて転入されたのですか?」
     「へっ!? そんな…これは偶然よ! そのたまたま転校した先に理樹君がいて私もびっくりしたっていうか――」
     「ふふっ、聞けば色々ありそうですが、そういうことにしておきましょうか。」
     「あ、いえ、だから私はそんな――」
     「止まらない想い、新しい出会い、そんなロマンを予感させる初夏の一日。始まるのは小説のような恋愛ですか?」
     「うわっ、わわ! だから理樹君と私はそんなんじゃないんだって…!」
     「ちなみにロマンとはフランス語では小説を意味します。素敵な結末になるといいですね、ふふっ」
     「ちょっと、まったくもう…!」

 不意に心を揺り動かされるような懐かしい既視感。
 私をからかい終えてどこか楽しそうに笑みを浮かべる西園さんにドキリとさせられる。

 美魚と美鳥――
 そのふたつに別れた人格のひとりが失われ、もうひとりだけが西園さんとしてここに存在する。
 私は目を瞑ると頭を横に振る。今ここにいる西園さんにあの子を重ねてはいけない。

 ――私がここにいる代わり、あの子はここにはいないのだから。

     「…で、理樹くんはやっぱり嬉しかったりするのですカナ?」
     「え!? いったい何の話さ?」
     「とぼけても無駄なのですっ。あやさんを見た時のリキは泣いていましたが、でもとても嬉しそうでした。」
     「え、あ、それは…うん。嬉しかった…かもしれない。」

 葉留佳とクドリャフカに詰め寄られて歯切れ悪く肯定する。
 こんな理樹君を見るのも堪らなく面白い。多分あの子がいたらこのふたりを足して3をかけたぐらいおちょくっただろう。

     「ふっ、ロマンだな。」
     「ああ、ロマンだぜ。」
     「ろまん?…ああ、あれな。」
     「いや、ちょっと謙吾も真人も鈴もヘンな誘導しないでよ! ほら、あやも何とか言ってやってよ。」
     「そうよね…理樹君は私がこうして会いに来たってのに、内心ではうわ〜変な子がやってきた〜とか思ってるのよ。
      きっと、私が転校してきた事なんてどうでもいいに決まってるわ。」

 だから私はちょっと意地悪してあの子の分までからかってあげる事にした。

     「えーっ!? いやいや、そんな事ないよ。すごく嬉しい! 鼻血が出そうなぐらい嬉しい!」

 …うん、知ってる。
 でもその言葉を理樹君からちゃんと聞けて私も不意ににやけてしまう。
 しばらくして慌てふためく理樹君の様子に満足して私は心から笑い声を上げた。

     「あははっ! もう冗談なんだからそんなに慌てないでよ。」
     「え、冗談だったの!? …いやいやいや、驚かさないでよ。てっきり怒ったのかと思ってたよ…はぁ…」
     「ふふ、どうやら理樹君をいじめる女性がまたひとり増えたらしいな。」
     「ちなみに姉御。理樹くんをいじめてる女性って姉御の他に誰がいるの?」
     「…自覚はないようですね。」
     「へ?え?私ですカ? やだなー。イタズラはいじめた事にはならないっすヨー」

 西園さんの言葉にちょっと汗をかきながら葉留佳は話を流そうとする。
 その様子に私も西園さんもお互いの顔を合わせて声を上げて笑う。…良かった、ここにいる西園さんとも気が合いそうな予感がする。

     「おっと、そろそろチャイムがなる頃合だよ。」
     「お昼休みが終わる時間だね〜。」

 理樹君の言葉にみんなは教卓の上にある時計を見上げると、徐々に輪を崩していく。
 西園さんも小毬さんからもらったいくつかのキャンディーを手に包み込んで席に戻ろうとする。

     「あ――」

 不意に西園さんの手に握られているものに目が留まる。
 緑の表紙の小さな文庫本。それはあの時、理樹君があの子に渡した忘れ物――
 古ぼけた色に磨り減った角。あの子がここにいる西園さんを見守ってきた時間、そのすべてがそこに刻まれているはずだ。

 ――キーンコーン カーンコーン…

 教室に響き渡るチャイムの音。
 変わりゆく車窓の景色のように退屈で決して同じものがひとつもない、学園の人達にとってそんな日常が始まろうとしている。
 だけどリトルバスターズのみんなとならきっと笑顔と喧騒の絶えない、そんな楽しい日々が待っているだろう。
 そして、それはあの子がみんなに望んだに違いない未来。

     「――あの、西園さん。」

 だから、あの子がこれから始まる日常の中で忘れ去られるのが哀しくて…私は西園さんを呼び止めていた。

     「はい、なんでしょう?」
     「これからものすごく自分でも意味不明な事を勝手にしゃべるけど…聞いていてくれないかしら?」
     「…よく分かりませんがお聞きしましょう。」
     「まず…ごめんなさい。やっぱり私、あなたに謝らなきゃいけなかった。結局、私だけ救われてあなたの居場所、
      奪ってしまったのだから。だから…今更なんだけど、本当にごめん。」
     「………」
     「それから――謝った事とは別に…あなたには負けないから。…ん、それだけ。あははっ、ヘンな事いってごめんね。」

 最後の言葉を言い終えた私を西園さんは無表情のまま見つめる。
 謝罪も宣戦布告も決してあの子には届かないと分かっている。だからこれは私自身の自己満足に過ぎない。
 するとなぜか西園さんはキャンディをひとつ手にとって私の唇に押し付けた。

     「私には何のお話か分かりませんが――あなたなんてせいぜいレモンキャンディーでも舐めて待ってるのがお似合いです。
                               それに万が一キスをしたとしても、初めてのキスは私の唾液の味ですから。ふふっ…」

     「……………はへ?」

 唇にキャンディーを咥えたまま唖然とする私を見て、目の前の西園さんはイタズラっぽく笑う。
 物静かで目立たない雰囲気ではなく、行動的で人をからかうような笑みで。

     「ちょっと!あや! 先生来たから席についてよ。」

 横で袖を引っ張る理樹君。
 さっさと席についてしまう西園さんをボーっと眺めながら、私はその場に立ち尽くしていた。
 ハッと気付くといつの間にか学生は全員席に着き、教卓には教師の姿があった。

     「ほら転校生、授業を始めるから早く席に座りなさい。」

 泣きそうだった。
 笑い出しそうだった。
 大声で叫んで踊り出しそうだった。

     「あはは…はははっ!」

 何も足りないものなんていない。でも足りないものがあるとしたら…。
 唇から落ちたキャンディを拾い上げてポケットに突っ込む。
 すぐさま決意した――思考と決断で最も大事なのは内容ではなく瞬発力だ。

     「先生!」
     「ん、どうした?」

     「朱鷺戸と西園、直枝と井ノ原と宮沢と神北と棗、それに来ヶ谷と能美と西園、具合が悪いので早退します!」

     「ぶっ!?」

 何かを言おうとして盛大に噴出す理樹君。

     「朱鷺戸と西園と神北と西園と……西園が二人いるのか? いや、ちょっと待て朱鷺戸。早退って何だ?」

     「私は慣れない新生活で疲れが出たらしく、体調がよろしくありません。」
     「転校生にはありがちだろう。分かった、ゆっくり休むといい。」

     「西園は昼休みから登校したのですが、気分が優れないそうです。」
     「そうか。西園も事故のショックが回復していないのか。なら仕方ないな。」
     「朱鷺戸さん…あなた、まさか――」

 私のウィンクに謙吾君とクドリャフカは意を得たりとばかりにサムズアップして答える。
 一方、理樹君は何が何だか分からない様子で小毬さんは目をまん丸にしていた。

     「宮沢はお昼に食べたうどんに上履きが入っていたのに気付かず、そのまま完食してお腹を壊したそうです。」
     「それ…本当か、宮沢?」
     「…はい。揚げと間違えました。おかげで腹の調子が悪いので早退しようと思います。」

     「能美は賞味期限を80年過ぎた缶詰を口にしてしまい、食中毒で危険な状態です。」
     「賞味期限を間違えるのは良くある事だな。仕方ない。」
     「わふ〜〜〜〜〜今にも死にそうなのです〜。早退しか助かる道はありません〜〜っ」

     「棗は猫インフルエンザにかかって頭からネコミミが生えて死にそうです。」
     「うむ。確かに棗は猫の群れの世話をしていたからな。いや、違うぞ!大体猫インフルエンザってなんだ!?」
     「病気の猫などいにゃい!」

     「神北はお菓子の食べすぎでこう見えて体脂肪率が危険水域です。」
     「やっぱりそうなのか、神北?」
     「私、そこまで太ってな〜い〜っ」

     「井ノ原は頭が悪いそうです。」
     「よし、分かった。」
     「ってコラ、あや! 早退の理由になってねーぞっ!?」

     「実はここにいる直枝はニセモノで本物は10分後に登校してきます。あ、どちらかと言えば後から来る方がカワイイです。」
     「………」
     「いやいやいや、別に双子でもなんでもないから。」

     「来ヶ谷は……ってもういないし!?」

 すでに席はもぬけの殻だった。

          :
          :


     「それでは先生、お先に失礼します。」
     「あ、ああ。養生してくれ。どっちにしてもこの人数では授業を進められんからな。自習だ、自習!…はぁ…」

 気だるげに教卓に手を付く教師と突如湧き上がる教室。
 それらを見送りながら謙吾君を先頭にその他大勢がぞろぞろと教室を出て行く。

     「葉留佳君にもメールを送っておいたぞ。」
     「ありがとう、来ヶ谷さん。ちょっと強引過ぎたかしら。」
     「特に理由の付け方がね。それであや、なにをするのさ?」

 半分呆れたような理樹君の声。そこに訪れるちょっとした沈黙。
 みんな私の一言を待っているのだろう。

 あの世界で一度失敗して失ってしまった学園生活――
 それを私はこの世界で再び始めるためにリトルバスターズの再出発を宣言する。


     「――思い出作りよ。みんなで海に行って遊ぶわよ!」


          :
          :



     「車まで用意しているなんて周到ですね。…いえ、これは――」
     「ええ、誰かが 善意 でキーまで付けてここに放置しておいてくれたからね。」

 ちょっと呆れたような表情の西園さん。
 校門横にとめられた10人乗りの白いワゴン車を前にみんなも感心したようにため息をつく。
 ちなみにキーが付けっぱなしになっていたのは偶然である。…いえ、不注意ね。

     「でもさ、あや。車の運転なんて出来るの?」
     「海外で免許は取得しているから問題ナッシングよ。さ、みんな乗り込んで。」
     「ほえ〜何だか、本格的だね〜。」
     「ちょっとした旅行気分なのです。(>ω<)」

 みんな楽しそうな表情でわらわらと車に乗り込んでいく。
 しかし10人乗りか…よし。まだアイツは戻ってこないわね。

     「ちょっと真人君。もうちょっと奥に詰めなさいよ!」
     「うるせー、これが限界だ!」
     「っていうか、真人くんデカすぎますヨ。(><)」
     「あと、こっちのバカもな。」
     「む、確かに…。仕方ない真人。俺たちは上だ。」

 葉留佳と棗さんの非難がましい視線に耐えられず、ふたりは車の屋根に上がる。

     「よし、これで全員乗ったわね!」
     「5…6…7………うん。ちゃんと10人全員いるね。」

 理樹君が人数を確認すると小毬さんが首をかしげる。

     「ん…10人、だよね、あやちゃん。」
     「ええ、10人よ。」
     「10人だな。全員いる。」

 が、私と棗さんに深く頷かれて、そうだね、と笑顔になり塩キャラメルを摘んで口に入れる。
 アイツは…ちょうど校舎の壁を伝って私たちの教室の窓から侵入を試みているようだ。
 だがそこにはもう斉藤君しかいない。
 まず車内をひとつひとつ点検し、私がちゃんと運転できるか確かめる。
 右がブレーキであっていたわよね…?

     「…あや君。どうやら気付いたようだぞ。」
     「…ッチ、意外に勘がいいわね。出すわよ…!」

 来ヶ谷さんが私にそっと耳打ちする。
 もう遅い…心の中で私はほくそ笑みながら、新しい物語の始まりに胸をときめかせる。
 カーナビを触ってみるとすでに行き先は設定されているようだ。アイツが行こうとしているのはここから50kmも先らしい。
 すると助手席に座っている理樹君がカーナビの画面を覗き込む。


     「ところであや、行き先はどんな海なの?」


 私は青空を見上げて眩しさに目を細める。


     「そうね…見渡す限り水平線で、海も空もとっても青くて、それからバーベキューができそうな場所。」


 そして絶対に叶わないはずだった願いがかなう場所。


     「それはきっと…僕たちの思い出の場所になりそうだね。」


 屈託のない笑顔で微笑む理樹君。私も同じように笑顔で言葉を返す。


     「――ええ、11人とそれからもうひとりで作る最初の思い出ね。」


 その言葉に少し首を傾げて指を一つ一つ折っていく理樹君。
 私は窓から首を出して爽やかな初夏の空気を胸いっぱいに吸い込む。
 これから始まるのはラブコメかしら。それともドタバタアドベンチャーかしら。
 ふと振り返るとアイツが顔を真っ赤にしながらこちらに向かってママチャリを必死に漕ぎまくるのが見えた。
 さてと…車の定員は10人。ここから50km程がんばってもらう事になるわね。


     「準備はもういいかい! いやっほーーーーーっ!!」

     「「おぉーーーーーーーーーっ!!」」


 みんなの声が青空の下に響く。
 理樹君が最後の指を折り終える前に、私はアクセルを思い切り踏み込んだ。















 【終わり】


 あとがき

 最後まで読んでいただきありがとうございます。
 何より更新間隔が長く申し訳ありませんっ。
 可能な限り原作のネタや設定を使いまくって書きました。が、ほとんどオリジナルっぽくなりましたが…。
 沙耶は苗字が不明だったり、持っている背景やそれに照応する解釈が複雑な分、独自に補完しようにも矛盾を出さないように
 するのが難しいです。とはいえ一般に作者が言いたい事は作品の中だけで述べられているはずなので、設定間違いがあったら
 自分の読み方や注意力が足らないと思うのでスミマセン。

 とりあえず "彼女" をどうするか書き始める前の設定段階で苦労したSSでした。
 自分がSSを書くときは、『読み手に見せたいシーン→そのためのシナリオ→シナリオを描くための最適なキャラ配置+アイテム』
 という順番で考えているので、本当の意味でのSSを書くのは苦手でオリジナルっぽくなり原作の色を壊しかねないです。
 で…"彼女" をクドにするか美魚にするかで二通りシナリオを書いてみて、ブチ切れたクドになっていて、ありえねーwとか思って
 美魚と美鳥を使いましたw 美鳥は不遇な子なのでせめてSSぐらいでは…と厚遇です。

 もしKeyにファンディスクが出てリトバスのifの世界を描いたシナリオがあるとしたなら、沙耶関連が一番見たいです。

 海鳴り



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