――こんにちわ。 ようやく気付いていただけたでしょうか。 今までずっと君に語りかけていたのですが、聞こえているかどうか私には分かりませんでした。 もう少し、意識がはっきりされてからもう一度お話しようと思います。 初めての方は戸惑われると思いますが、すぐに慣れると思います。 「―――」 はい、その通りです。 君も私も自我を共有しています。だから話さなくても伝わる。考えればそれは即座に理解される。 というよりも、君も私もひとつの自我として重なり合っているのですから、伝わる必要すらありません。 ですが、慣れるまではこうしてお互いを個とみなし、言葉で意思伝達を図りましょう。 「――僕は、死んだの?」 死ぬ事が決定付けられた世界からやってきたという意味では、君は死んだ事になります。 98.4375%の確率ですので、かなりの割合でそうなるでしょう。 ですが、絶対に死ぬ事が決定しているわけではありません。 ここからは世界の全てを見渡すことができます。 現実世界で君が自分の肉体について理解しているように、個を喪失すれば今度は世界そのものが君には 理解できるようになります。 やがては意識も視界も感覚も現実世界よりはるかに明瞭になるでしょう。 「そうか、ああ…そうだったんだ。僕らのすぐ後ろまで、危険は迫っていたんだ。 こんなにも確実に死ぬ事が決まっているのに、だったら、どうすれば…僕らは助かる事ができるんだろう。」 1.5625%―― この確率で辿り着く世界があります。その世界では誰も死なずに危難から逃れることができます。 私は君たちを救いたいと思っています。だから、どうか教えて欲しいのです。 君はどういう経緯で死んでしまう事になったのか。 「…うん。分かった。まず僕の名前は直枝理樹。それから――」 【7月1日 16時30分】(16) 「それじゃ恭介、よろしく。」 片手を上げて部室から出て行く恭介を見送るとパイプ椅子に腰を下ろす。 部室には太陽が入ってこないから中はほとんど真っ暗。 外で待つにはちょっとばかり日差しが強かったので、素直に部屋の中で待っていることにした。 「…ちょっとだけ部屋の中を整理しておこうかな。」 暗闇に徐々に目が慣れてくると、部屋の散らかり具合も見えてくる。 まったく…誰だよ、10kgダンベルに水の入ったペットボトルくくりつけてるのは…。 ブツブツ文句を言いながらも何とかそれを部屋の片隅に追いやる。 傍らに置かれた時計を見ると16時35分。 みんなを集めて野球の練習をするとなると2時間ぐらいかな。 ――バタンッ 「あ、恭介。早かったね――」 何気なく僕は振り返った。 * * 「―――」 ありがとうございます。君の記憶はここまでなのですね。 私が観察する限り、君は胸部を刃物で刺されて地面に屈んだ。そこでさらに首を刺されたようです。 不幸な事ですが、この世界での死亡者は君だけのようです。 ただ、ひとりでも欠けてしまえば、それは悲劇の世界になります。 この世界に辿り着く可能性は12.5%(1/8)です。 この世界は悲劇です。16時45分までに直枝理樹1名が死亡します。
* * 世界の連続性とは何だろうか。 過去に起きた出来事によって現在の出来事が影響を受けるのは何故だろうか。 極端な妄想として、世界は5分前に悪魔が作り出したもので記憶も悪魔が植えつけたに過ぎないものだと 考える事は可能だろう。なぜならば存在を証明によって客観的に証明する事が不可能だからである。 この仮定が妄想であるのは、全ての命題が証明できるという誤った前提に基づくためである。 証明とは命題の存在を前提にしており、存在は前提条件としてそれ単独で絶対なのだ。 次元を無視して全てを同列で論じてはならない。 しかしメタ化されない同次元の世界の連続性については、因果関係の観察によって客観的証明が可能である。 記憶を失った人間がいたとすると、彼は世界の連続性をある時点で失った事になる。 ひとつは昨日晴れだった世界。もうひとつは昨日雨だった世界。 さて、どちらが今いる世界と連続しているのだろうか。 そのためには世界を観察するしかない。 昨日の雨について友人が話していたなら、その人がいる世界は『雨が降った昨日』と連続しているのだろう。 最近雨が降らないと世間話をしているのなら、『晴れた昨日』と連続してると推論される。 だがここで注意しなければならないのは、肯定材料よりも否定材料の方がより強い証明力を持つ事だ。 雨が降った世界では、道で転んで時計を壊してしまい二度と直せそうもない。 晴れた世界では時計は無事のまま、何も起こらなかった。 さて現在の世界では友人が雨について話しているが、右腕には時計が無傷のまま時を刻み続けている。 この場合、現在の世界は晴れた世界と連続している事になる。 友人の話はふざけただけかもしれないが、時計が無事である事は雨が降った世界との連続性を明確に否定し、 反証の余地が全く無いからだ。 証明とは可能な限り、他方の矛盾を指摘する形――すなわち背理法でなされるべきである。 * * 【7月1日 16時15分】(17) 「…味がしないね。」 「うん。香りはすごく良いのになんかフツー。もうちょっと舐めてみよっか。」 「………」 「………」 「ちょっと甘い…かな?」 「わ、なんだか口の中でものすごく膨張してきてるのですヨ。むしろマズイ!?(><)」 * * 「―――」 ありがとうございます。 このあと君と三枝葉留佳は立っていることができなくなって廊下に座り込んだまま眠ったようです。 その時に君はナイフで刺されて失血死、三枝葉留佳は最終的に廊下にあるトイレで絞殺されました。 この世界に辿り着く可能性は12.5%(1/8)です。 この世界は悲劇です。16時30分までに直枝理樹、三枝葉留佳の2名が死亡します。
* * 伊予柑星人とは何だったのだろうか。 二木佳奈多がどのような経緯でそのキャラクターの描かれた紅茶を購入し、その気に入っていたであろう缶を 能美クドリャフカに譲渡したか、その経緯は定かではない。 譲渡された能美クドリャフカもその缶を気に入り、教室まで携行している。 しかも国語の教科書に載っている筆者の顔写真のように彼女なりのアレンジメントを施される事なく、伊予柑星人 だけは無傷でそこにあり続けている。 ――それに伊予柑星人に私はある種のシンパシーを覚える。 そもそもプロのデザイナーの手によるものとは思えぬほど粗雑で完成度の低いキャラクターが、一時期とはいえ なぜ地方公共団体を代表するマスコットになりえたのだろうか。 憶測として、職員のひとりが特産品を安易に擬人化し、その拙さが個性として受け入れられ、マスコットにまで 祭り上げられたと考える事もできる。 芸術とは時として技術的な低さが大衆に個性として受け止められる可能性を内包している。 テストの点数において100点よりも60点が個性的ということはできない。なぜならば点数は序列関係が 誰の目から見ても明らかだからである。しかし、芸術分野などの一般人の視点において優劣関係が判別しがたい ケースでは、専門家の基準で評価される点数は一般人の支持に必ずしも比例しない。 というよりも専門家の基準が正しい保障はどこにもなく、一般人は権威者が一方的に提出した基準に頷くしかない。 それをハロー効果というか、専門性というかはともかく、芸術の評価とは情報の非対称性を内在している分野なのだ。 その意味で芸術分野おける批判とは客観的には無意味かつ無価値であろう。 たとえそれが技術的な稚拙さと明らかに分かる場合でも、それを批判するのはある意味ナンセンスである。 芸術というマジックワードは主観的には全ての批判を黙らせることができるのだ。 立方体の形をした金色の紅茶缶に貼られた伊予柑星人。 彼は紛れもなく芸術だった。 * * 「質問してもいいかな?」 どうぞ、私に答える事ができるものであればお答えしましょう。 「なぜ僕に質問をしているの?」 正確には君だけに質問しているわけではありません。 悲劇の被害者となる全員の人間に質問しています。 私は彼ら全員に生存して欲しいと願っています。 生き残るには正しい世界を選択しなければなりませんし、そのためにはどの道が正しいか知らなければなりません。 「なら…僕だけで悲劇を止める事はできるの?」 無理です。確かに君の行動は深く関わってくる部分ですが、誰も死亡者を出さないためには5つの分岐点で 正しい世界を選択する必要があります。 最初に世界は2つに別れています。 ひとつは神北小毬がワッフルをみんなと食べ、君だけは部室に移動しようとする世界(01)。 もうひとつは神北小毬がシュークリームを食べ、君は部室に行こうとしない世界(02)。 これは5つの分岐のうちの最初のひとつですが、このどちらかに行けば必ず悲劇的な結末になり、 もう一方を選択したならまだ希望は残されます。 つまり、この3つの質問は5つの分岐において正しい選択をするために必要なものです。 全員が生存するために―― 神北小毬はワッフルとシュークリーム、どちらを先にみんなで食べるべきですか? 直枝理樹が絶対に言ってはならないセリフはどれですか? 最後の悲劇は誰によって回避されますか? 「小毬さんがワッフルかシュークリームか、どちらかを食べるかで誰かが死ぬの?」 直接的な因果関係はありません。 たとえばワッフルを食べた事が原因となって誰かが死ぬという事態です。 飽くまで(01)と(02)の世界、いずれの派生ルートに全員が生存する可能性が残されているか、という部分です。 実際に(01)と(02)の選択を決定付けているものを調べると、様々な要因が絡み合っており特定できない状況です。 そこにワッフルとシュークリームの糖分量の違いが主体の判断に影響を及ぼした可能性も否めませんし、意思決定主体が 複数存在するので、それぞれがどの程度のインパクトを備えていたかも分かりません。 「僕が絶対に言ってはいけないセリフ――」 先程の神北小毬の場合と異なり、君がそのセリフを言う事で世界の選択が決定的になるケースです。 逆を言えば、世界の選択が決定的にならないセリフを君が口にする事はなんら問題ありません。 それが何かを知るためには世界の木の姿を正しく捉える必要があります。
(01)と(02)の世界。 それぞれの世界が選択される可能性はいずれも50%です。 次に(01)から派生した(04)ともうひとつの世界。 これは(01)の50%を前提としてそれぞれ25%の可能性で辿り着きます。 そして(04)から派生した(16)ともうひとつの世界。 同じように(04)の25%を前提としてそれぞれ12.5%の可能性で辿り着きます。 (17)の世界。 この世界に辿り着く可能性は12.5%であり、16時15分の時系列に属しています。 私は15分単位で世界を観測しているため、16時00分と16時15分の間に世界は存在しません。 したがって、(17)の世界が12.5%だとしたら、同じように12.5%の可能性を持った世界が合計4つある事になります。 なぜなら(02)の世界は50%の可能性を持っており、次に派生する世界の可能性の合計はやはり50%になるからです。 そして同じ分岐から派生する世界の可能性はすべて等しい割合で存在します。 また同じ時系列に属する世界の縦の合計も100%になります。 たとえば16時00分の時系列に属する世界は(01)と(02)だけであり、合計は100%になります。 そして16時15分の世界――(04)(17)その他4つの世界の可能性の合計も100%になります。 「最後の悲劇というのは――」 すべてある5つの分岐のうち、最後の分岐です。 この悲劇はある人物によって回避されます。 「それだけじゃ僕にはどうしようもない。」 私が君の立場なら同じように困惑するでしょう。 ですがこの世界からなら君も理解できるはずです。 最後の悲劇ですから、その分岐よりも後に悲劇が待ち構えているという事はありません。 そして悲劇という事は誰かが死の危険に晒されている事を意味し、被害者を受ける予定の人間が必ずいます。 どの人物によって悲劇が回避されるか分からずとも、悲劇が実現した場合に誰が死亡するかは分かるはずです。 たとえ誰が死亡するか分からない場合でも、何人の人間が死亡するか分かるはずです。 その人数から場所と状況を、加えてこれまで見た世界から死亡原因を考えます。 「死ぬのが誰か分かれば、それを助けられる人間も限られてくる――」 はい。地理的条件、時的条件で絞られ、最後に必然性がそれを決定付けます。 その人物の意図に関わろうが関わるまいが、助ける事ができるのはその人物ただひとりでしょう。 もちろん他の人間によって悲劇が回避される可能性もゼロではありませんが、少なくともこれまで見た世界からその人間を 特定する事は難しいでしょう。 「僕がこれまで見た世界――僕はここにくるまでに10個の悲劇を見てきたんだ。」 そうですか。だとしたら残り1つの世界はすべての悲劇を回避した世界になります。 死亡した人間はどのような原因で死んでしまったのですか? 「刃物で刺し殺されたり…葉留佳さんは手で絞め殺された。みんな爆発に巻き込まれたりもした。それから――」 * * 【7月1日 17時00分】(18) ――ザッ… 「――こちら消防。えー死亡者は男子1名、女子6名。全員硫化水素による有毒ガス中毒の症状が認められる。 七輪と練炭、複数の洗面器に浴室用洗剤と石灰硫黄合剤らしきものあり。 はい。現場は学園の女子寮、住人に避難指示中。室内に争いの形跡なし。集団自殺の可能性もあり。 警察への通報と応援を要請します。」 : この世界に辿り着く可能性は25%(1/4)です。 この世界は悲劇です。これより以前の世界で複数の死亡者がでています。
* * 私が見た君の死亡後の状況です。 抵抗も出来なかったのでしょう。外部からは他殺か自殺かすら見分けがついていないようです。 「…あの時、僕は急に眠くなって気付いたら体が言う事を聞かなくて――」 君たちを悲劇に巻き込んだ者には標的に優先順位があります。 その中で…君と三枝葉留佳は最も優先順位が高かったのです。 このふたりのどちらをより優先するか…それはその者の目的によって分かります。 当初の計画があり、そこからいくつもの状況に応じて殺害方法を用意していました。 だから、その者が常にどこにいたのか――君はもう分かりますね。 「……ありがとう。なんとなく分かった気がするよ。」 そうですか。君は自分にできる事だけをするしかありません。 私は君たち全員を応援しています。 「最後にひとつだけ――君は誰なの? 君は絶対に死んでしまうんだよね?」 世界によっては私が君たちを殺してしまうかもしれません。 …できることなら、私も救って欲しいのですが、君は私が誰なのかも分からないでしょう。 ですが――君ともうひとりは私を救う必然性を持った人間なのですよ。 「よく分からないけど、僕が君を救う事ができたらいいと思う。」 ありがとう。 「それじゃ、僕はもう行くよ。僕と僕の仲間が二度とここにこないために――」 ………。 誰も言う事ができないので私が言います。 あなたは最低です。 悲劇を回避することができるのに、あなたはそれをしなかった。 見なくてもいい悲劇をいくつも見る事になり、心をすり減らした直枝理樹がここに現れた。 いずれ1.5625%の確率で至る世界を見つけられなかった直枝理樹とその仲間たちがここに来る事になる。 その時、あなたはどんな顔をするのですか? …………………………分かりました。 私は直枝理樹たちも、そしてあなたも信じる事にします。 最後のチャンスです。よく考え直してください。 【解答編へ】 あとがき これで正答率予想は1問目が60%、2問目が30%、3問目が15%ぐらいか…。 3問目は気づかなければ気付かない性質のものかも。 海鳴り |