死闘は凛然なりて   −第07話 「日傘の少女」−
 











     「………」


 左右に別れて走り出す僕と小毬さんを二木さんは交互に目で追う。
 二木さんは僕か小毬さんのうち、一人をとめるために戦わなければならない。

 だけど二人のうち一人は西園さんに辿り着く…!
 西園さんさえ倒せば――僕らの勝ちだ。


     「わああああーーー!!」


 高く声を上げて突撃する。
 さぁ、どっちだ? どっちを狙う?

 二木さんは――よし!小毬さんの方向に走っていく…!
 あとは僕が西園さんを倒せばいい!


     「直枝さん…」

     「ごめん、西園さん!少し痛いけどガマンしてね!」


 判子をつまむ指先にいつも以上の力が入る…!

 これは――東京在住の田中さん、栃木出身の田中君、日系アメリカ人のミスタータナカ――
 そんな世界中の田中さんの想いをこの指先に込めて……

 僕は田中さんの判子を真っ直ぐ西園さんの右頬に振り下ろす――!














死闘は凛然なりて

−第07話 「日傘の少女」−













 ――ガキンッ



     「――え?」

     「詰めが甘いです。」


 ――西園さんのぷにぷにした頬を捕えているはずの判子が何かに阻まれた。

 ノートと筆記用具を手にしていたはずの西園さんは、どこから取り出したか日傘で僕の
 田中さんの判子を防いでいたのだ。


     「…っ!」


 その場から一旦飛び退き西園さんから距離を取る。
 ――バカな…! 西園さんは近接戦闘は苦手なはず…!

 攻撃はまがいもなく改心の一撃。
 あの瞬間、僕は全国何十万人の田中さんよりも田中さんらしく判子を押したのだ。
 クール宅急便を受け取るときや離婚届を提出するときよりもはるかに鋭く重いインパクト――
 たとえ名前が田淵や中田でも間違いなくこの一撃で昏倒させていたはずだ。

 それを全然違う "西園" がいとも軽やかに捌くなんて――この女、正気か…っ?


     「直枝さん、覚悟…してくださいね。」
     「――!」


 目が合ったとき、ほんの少し西園さんが笑った気がした。
 が刹那、視界の右の方から日傘が薙がれる…!


 ――ヒュン

     「っ!?」


 ほとんど見えなかった。
 スウェーバックした鼻先を切れ味の鋭い風が掠めていく!
 二度、三度と繰り出される風を斬る音――

 感覚だけでそれらを右へ下へと避けると、僕は膝を折ってそのまま西園さんの背後へと転がる。
 よし、完璧なタイミングで後ろをとった…!

  ――ガンッ

 …え?


 間一髪――西園さんの日傘の先端が僕の脇の床をえぐっていた!
 そんな事って…西園さんは振り返らずに背後の僕を日傘で攻撃してきた…!?


     「…直枝さん、所詮あなたは田中さんではないという事です。」


 なんて動体視力…!!
 超スピードで繰り出される判子の字面を読み取るなんて!!
 すごい勢いで西園さんの足へ田中さんの判子を打ち付ける…!


     「うわああっ!!」


  ――キンッ


 日傘の先端で田中さんの判子が防がれる。
 ――これが防御されるのは想定内。

 右手に持った田中さんの判子を僕はピンっと指で上に弾く。
 そして、それを左足で蹴り上げると右足で地を蹴って、空中で田中さんの判子を左手でキャッチする。

 そう。田中さんの判子は僕の体を伝うように天へと駆け上る…!
 壊れた天井からのぞく太陽を背に、僕と田中さんの判子は空を舞う!!

 ここまでに要した時間――実に0.8秒!


     (…頭上をとった!)


 親指と人差し指でつまんだ田中さんの判子を重力に任せて、思い切り西園さんの左頬に振り下ろす…!
 今度こそ…その指で突付きたくなるような頬に田中さんの烙印を押し付けるっ!


     「おまえ田中ッす!!」
     「……ふ」


  ――パーン!


 日傘が開いた…!?
 空中で体勢を崩した僕は背中から地面に打ち付けられる。
 ああ…その白い日傘の表面に田中の証を刻み付ける事すら僕には叶わないというのか…!


     「――ぐ!!」


 だが、痛みを味わっている暇なんてない!
 無様に床を転がりながら西園さんの日傘の槍を回避しつづけ、隙を見つけて思い切り立ち上がる!
 この程度なら何とか――

  ――ゴン!

     「がふっ!?」

  ――ガン!

     「ごふっ!?」


 なにかすごい力で顔を右へ左へ激しく揺らされる。
 右頬と左頬に市販の日傘とは思えない重い攻撃を食らったのだ…!

 …そんな!立ち上がる隙を見せたのは罠だったとでもいうの…!?


     「――直枝さん、これで日傘と雨傘の違い、分かっていただけましたか?」
     「…!!」


 最期に見たのは下から振り上げられた西園さんの白い日傘。
 重い力がアゴを突き抜けるような感覚。
 そして一瞬の浮遊感の後、着地した背中には想像しがたい衝撃――


  ――ダンッ

     「…ンがっ!!」






     (ダメだ…僕は負けたのか?)



 荒い息。動かない身体――
 コツ、コツと倒れた僕に近づいてくる足音を聞きながら絶望するしかなかった。


 ――こんなザマじゃ…恭介には遠く及ばない。

 恭介が望む僕はどんな困難にも挫けず、
 どんな状況でも活路を見出し、
 例えどんな事があったとしても鈴を守る事ができる直枝理樹なんだ。


 恭介がいなくなった世界――
 仲間が誰もいなくなった世界――
 鈴と僕しかいない世界でも…強く生きる事ができるように。



     (――!!)





      急ブレーキの音。
      体が浮遊するような感覚。
      上と下がなんどもごっちゃになって大きな音ととも止まった世界。


      恭介が泣きながら叫んでいた。
      いつも完璧で弱さなんて見せない恭介が僕と鈴を助けてくれと叫んでいた。


      荒い息。動かない身体――



 ――あの時も倒れた僕は絶望するしかなかったんだ。
 何もできない無力な直枝理樹をただもう一人の自分が眺めていただけ。
















     (そんなの…二度とごめんだっ!)













     「っく…ああぁーーっ!!」


 高く跳べ、高く空へ…!
 天井の大きな穴からみえる太陽に僕は吼える。

 そう何度も倒れてやるものか…!
 ナルコレプシーで倒れて悪夢をみるのはもうたくさんだ。

 僕が夢を見るのは――僕が起きているときだけでいい。



     「……!」
     「西園さん。僕は…まだやれるよ」



 西園さんは一瞬目を見開いた後、ふっと口元を緩める。
 そして、白い日傘を構えなおして再びこの戦場で僕と対峙する。



     「――理樹君、まだ戦えますね。」
     「小毬さん…!」


 その声に振り返ると、キズだらけでボロボロになりながらも特殊警棒を構える小毬さんがいた。
 そして傍らには倒れたまま動かない二木さん…!


     「…勝ったんだ。」
     「私、けっこう強いですよ?」


 得意げに胸を張る小毬さんが少し可愛らしい。
 あの二木さんに勝ったんだ…! すごいよ、小毬さん!

 これで相手は本当に西園さん一人か…うん。やれるっ!


     「理樹君、よく聞いてください。みおちゃんは自分の想像を現実にしてしまう力があります。」
     「――! そんな…っ」
     「だけどそれも無条件じゃないです。みおちゃんが武器として拾ったのはノートとペン。
      そこに何かを書き込むことによって自分の想像を実現しています。」


 ちょっと待って。
 それじゃ、西園さん自身が魔法使いになったり、未来の世界の猫型ロボットを呼び出したりも可能なはず。


     「理樹君が思っている事は分かります。ですが、見たところみおちゃんが想像を現実化できるのは
      物理的に可能な場合・・・・・・・・・に限られるようです。
      だから何もないところに物を出現させたり魔法を使ったりはできない。静止しているコーヒーカップ
      を突然壊したり、人が壁を抜けたりはできません。」

     「なら西園さんにできることって――」
     「そうです。意志を持った動物や人間などの行動を操る事ができると考えていいでしょう。
      壁の上を歩いている猫をジャンプさせてみたり、授業中のクラスメイトを退席させる事は可能です。」

     「ってことは、西園さんは僕や小毬さんの行動を操る事ができるはず――
      真人の筋トレをやめさせたり、謙吾に制服を着せたりも可能な事になるはずなんだ。
      なのに西園さんはそれをしなかった――いや、できないんだ。」

     「おそらく。なぜか分かりませんがリトルバスターズのメンバーは操る事ができないのでしょう。
      ですが、二木さん。彼女はみおちゃんによって強くされていたと考える事ができます。」


 ってことは、二木さんは元々あれだけの身体能力があったというワケだ。
 その身体能力を使って物理的に可能な動きを、西園さんの力によって実現されていたのだ。


     「ところがです。理樹君がみおちゃんと接近戦を始めてから、二木さんは急に動きが鈍りました。
      そしてそのかわり、みおちゃん自身が急に強くなった。」

     「一度に想像で強化できるのは一人まで――」
     「はい。なので案外楽に二木さんは倒せました。」
     「なるほど、そうだったんだ…」
     「これで私のセーターに文句をつける人もいないでしょう。制服の上着は私には似合いませんから。」



     「さて…直枝さん、小毬さん。そろそろ覚悟していただきましょう。」
     「――!」


 日傘を片手に西園さんがゆっくりと近づいてくる。
 能力によって物理的に可能な範囲で最強になった西園さん。
 これ以上ないぐらいの強敵に僕らは挑むんだ。
 恭介じゃないけど…僕は何だか燃えてきた。


     「小毬さん、二人がかりで戦えば何とかなるかもしれない――!」
     「はい。二人が限界まで力を出し切れば必ず…勝てますよ。」


 一人で勝てないなら二人で力を合わせればいい――
 僕は田中さんの判子をぐっと両手で包み込む。


     "――違うぞ直枝君。世界中の田中がキミを応援しているんだ。"


 その両手の中からそんな声が聞こえた気がした。


     (ああ…なんて心強いんだ)


 All for one. One for all.
 田中さんは僕の為に。僕は田中さんの為に。

 応援してくれる誰かがいてくれるだけで僕に百倍の勇気を与えてくれる。
 ――今なら負ける気がしない。
 やがてくる過酷も乗り越えてみせる…!


     「小毬さん…!攻撃だ!」
     「はい! ――みおちゃん、勝負です…!」


 日傘の少女に二人して突撃する。
 西園さんは日傘を腰に構えたまま動かない…!


 ――ヒュッ


 前髪を掠める傘の切っ先。
 分かる…!見える…!この次の西園さんの太刀筋もこの頭は理解できる…!


 ――ヒュッ      カンッ!


     「――!!」


 僕の判子捌きに西園さんの瞳がまん丸になる。
 真っ直ぐにとんでもないスピードで突き出された日傘の先端を田中さんの判子でとめて見せたのだ。


     「…驚きました。ホンモノの田中さんでもこうはいきません。」
     「まだまだ…!!」


 田中さんの判子を人差し指の上で回転させて、薬指と小指の間に挟むとそのまま西園さんの頬に打ち下ろす!


 ――キンッ


 これは防がれるが、逆サイドから小毬さんの特殊警棒が風を切って西園さんの頭を打ちのめそうとしていた!
 これは…防げまい!


     「…やりますね!」
     「…っ!」


 頭を下げると西園さんは日傘で小毬さんの足を払った!
 一瞬バランスを崩すも、小毬さんは床に手をつきそのまま側転で切り抜けた。


 ――この瞬間を見逃さない。


 今、西園さんは日傘で小毬さんの足を払った。
 ならば慣性でおおきく振りかぶられた日傘は一瞬で防御に戻る事は物理的に不可能…!



     「いあーーっ!!」



 僕は高く空を舞い、田中さんの判子を西園さんの頬めがけて投げつけた。


     「――!!」


 彼女が振り返った時にはもう遅い…!
 その頬には――紅く、そして丸く、"田中" の印章が刻まれた。


     「ああ…!」


 頬に手を当てて呆然とする西園さん。
 すたっと手をついて床に着地すると同時に、田中さんの判子がカランと床に落下する。 


     「…西園さん」
     「田中…私は田中…」


 如何な強化された西園さんでも――頬に田中の印をつけることができた。
 頬を抑えた手を離し、その手に写った田中の文字を見つめる西園さん。


     「理樹君、やりましたね…!」
     「ああ…小毬さん。どんなに困難な状況でも、力を合わせれば不可能はないんだ。」


 がっちりと手を握り合う僕と小毬さん。
 ――長くつらい戦いに今幕が降りた。

 伸びてしまったクドと来ヶ谷さん。
 ばったりと倒れ込んだ葉留佳さんに二木さん。
 瓦礫と化した体育館に陽光が差し込んでいる。


     「恭介…」

     「ああ…」


 恭介は僕の声に頷き返す。
 いつものようにただ不敵な笑みを浮かべて恭介は勝者の宣言をしてくれる――


     「理樹、油断するなよ。」
     「え――」







     ――ブゴッ!!



     「――ぶへっ!?」
     「――うばっ!?」


 気付いたときには僕らは西園さんの日傘で殴り倒されていた。
 小毬さんの小柄な体はその勢いに吹き飛ばされ体育館の壁に激突。
 その様子を僕は空高く舞いながら眺めていた。


     「ひどいです…私が田中だなんて。」


 田中の何が悪いんだ。
 そう心で呟きながら僕は今更ながら、田中さんの判子が如何に無力であるかを思い知った――










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